トランス差別とどのように向き合うか(2021年5月20日放送 TBSラジオ『荻上チキ・session』)

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 平日の15時30分から17時50分にTBSラジオで放送されている『荻上チキ・session』、5月20日に放送された「性的マイノリティーに対する理解増進法案。自民党部会の審査が紛糾」というニュースとそれに関連して、荻上チキさんがトランス排除をはじめとした差別の問題について、番組としてどのように向き合っていくかということをコメントしました。私も自身の態度を点検し、改める必要があると強く感じたので忘れないように書き起こします。番組の様子はApplePodcastSpotify Podcastなどでも番組放送終了後に聴くことができます。関心を持たれた方はぜひ聴いてみてください。

 

以下、書き起こし

 

荻上「トランスというのは、LGBTというふうによく言われたりしますけれどもレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、で、トランスジェンダーですね。で、特にこの性的マイノリティーの話を語るときに、トランスの方というのが、不可視化されやすい、見えにくくされがちな状況というのがあるわけです。トランスジェンダーの方というのは、生まれたときに割り当てられた法律的・社会的に割り当てられた性別とは異なる性別を生きる人のことを指すわけですね。生まれたときにこの子男だからねと制度上男の子として登録をされ、周囲も男の子だというふうに割り当てて育ててきた。でも本人が自分は男の子だと育てられることにすごく違和感があるというふうに感じて、で、その性別ではなくて例えば、身体を性別適合手術を重ねることなどで、別の性として生きたいであるとか、あるいは服装を自分の似合う性のあり方で生きたいとか、そうしたような方というのはいるわけです。そうしたトランスジェンダーの方々の権利をどう考えるのかというふうになったときに、同性婚などは今政治的テーマとしてあがりがちではあるけれども、ではトランス差別やトランジェンダーの人権というものを考えるというテーマがどうしても副次的なものとして位置づけられがちな状況というのがあるわけですよね。そうしたさなかにあって例えばトランスの人権ということを語ろうとすると、でもじゃあお風呂に入ってきたらどうするの?とか、トイレに入ってこられたらどうするの?とか、あるいはそうしたスポーツ大会とかでメダルを総ナメするみたいなことになっていいのか?みたいな話が出てくる。大会の話は大会規定をどうするのかっていう話なので、そもそも人権の議論とどういう風にそれぞれの規定を擦り合わせたり、分けて考えることが必要なのかっていう検討が必要にはなってきますよね。また、例えばトイレがとか風呂とか、そういうことをしばしば言うわけですが、すでに多くの当事者というのが日常の中でともに社会を生きている状況の中で仮にそうした個別のスペースで加害があったならば、その加害は当然ながら批難される必要あるわけだけれども、潜在的加害者として見てその属性に分類されるというふうに想定される人たちを丸ごと排除する、丸ごと怖いんだ、丸ごと受け付けたくないんだということ自体がこれまた差別ということになりますよね。現に差別が起こっているのだから、それに対して社会運動的にいやいやそれ差別やめてくれという風に声をあげること自体が重要になってくるわけです。でも、山谷えり子議員は、社会運動化すると副作用があるというようなことを言ってるわけだけれども、それは今もうすでに生まれている社会的な対立と、それからそれに対する抗議のかたちで生まれている社会運動というものを見ないことにする格好になりますね。実際、そのトランス排除という言説が自民党の党内の勉強会などで届いているような状況というのもあったりするので、それは非常に危険なことだなというふうに思ってはいたんですけれども、今回こういったかたちで発言として現れてきたので、あ、やはりそこに着地をするよなと。トランス排除というのはこういった排他的・極右的な考え方と非常に密接に結びつくなというふうに考えられるところではあるわけですね。」

荻上「で、僕はこのトランス排除の言説に対抗しなくてはいけないというふうに考えています。番組もそのつもりでやってるところがあるんですね。で、なおかつトランス排除に対して違和感を抱く人が増えてほしいとも考えているんです。だからこれは理解をしてあげようか否かという話ではなくて、人権と生活で困ってる人がいるのだから、それに対してフェアな社会を作りましょうという人権と生活上の問題なんですよね。だから差別禁止というのは必要だと思うんです。で、この差別禁止ということを言うっていうことは、非常に真摯に様々な態度や制度と向き合っていくということが必要なテーマになるんですよね。例えばこの『session』という番組では、トランス排除に対してNOと言いたいと言っているんですけれども、それをじゃあ徹底的に実行するには、やっぱりいろんなところを改めなくてはいけないところがあるわけだ。で、例えば番組のアカウントでね、『session』のアカウントで、4月、放送内容に反応してくれる投稿をリツイートしたんですよ、スタッフがね。で、番組アカウントでリツイートするっていうことは、まあよくあることで、そのようにして番組をより多くの人たちに届けたいっていうことで好意的な投稿をしている方をリツイートするしようっていうことをするわけです。ところが、一つの投稿をスタッフがリツイートしたんですけれども、その投稿を行なっていたアカウントは、過去にトランス排除することを明言していた人だったんですね。リツイートした投稿自体は、そうしたようなものが浮き彫りになるようなものではなかったんだが、過去にそういった投稿をしていた人だということが分かって、そのことを複数のリスナーの方から指摘してもらったんです。で、これは差別行為にあたるよね、差別拡散行為にあたるよねということで、その投稿を削除して、で『session』のスタッフの内部で再発防止のルールを作って、そのルールを作ったということは後日僕の口からこうやって説明しようということになったんですね。その再発防止策というのは、(トランス)排除的なキーワードを事前にサーチして、その上でリツイートするかどうかを判断するというものになるわけです。例えばね、これが人種差別者であって、そのような人種差別的な投稿を過去に行なっていた人の最新の関係ないかのように見えるツイートをリツイートする、これ問題があるかないかというと、僕はあると考えるんです。なぜならば、そのようにリツイートした人をほかのリスナーの方とかが信用したり、共感を抱いてフォローするかもしれない。で、そのフォローした人がまた差別的な投稿をすることによって、そちらの言説に共感をしたり誘導することになったりするわけだ。ある種の発言の居場所というものに、お墨付きを与えたり、道筋を作るという行為になってしまう、そういった非常に危険な行為なんですね。だからこそ今言ったような排除的なキーワードの事前サーチを徹底しましょう、ということをスタッフとルールを作って、で、トランス差別とか、人種差別とか、優生思想とか、そうしたものに結びつかないようにしましょうというようなことを議論したんです。で、例えば優生思想とか外国人差別とかそうしたものに対しては、いやそれは問題だよねというふうに考える人、今多くいらっしゃると思うんです。ただ一方で、トランス排除をしている人たちに対して、このように警戒するということに対しては、例えば中にはやりすぎじゃないのということを言ってくる人たちもいるかもしれない。僕はそうは思わないんですよね。やっぱり何かの当事者として生きることによって、否定的なキーワードがほかの人よりもたくさん飛んでくる社会、そうしたような社会の中で、この放送は自分にとって有害ではないと思ってもらえるような番組づくりをしたいという風に考えているときに、その番組のアカウントでリツイートする文言の主が差別的な投稿をしていた人だったとするならば、これは心理的安全が脅かされるということになりますよね。(続く発言聞き取れず、中略)なのでそのようにでは、差別と向き合うと言ったときに、自分がそのような言説をしないということだけではなくて、そのプラットフォームとして何をするのかとか、誰に対して居場所を与えるのかとか、いろんなことを考えていくことが必要になるんです。で、考えていくことが面倒くさいって言えるのもこれもまた多数派の特権なんですよね。面倒くさいからやりたくないって言ってる間に、傷ついたりぼろぼろになったり権利が与えられないって状況のままが放置されるということになってしまうわけですよね。だからこそ差別の禁止とそれからそれをするためにどのような手段が適切なのかということを考えることが必要なんですね。そのときに括弧付きの慎重派みたいな仕方で、いろいろ問題があるかもしれない、混乱があるかもしれない、みたいな仕方でNO、NO、NOと言うのでなくて、じゃあどうするの?と、どのようにしてその権利を確保するの?と、あるいはその権利の不平等というものを是正するの?というようなところに向き合わないというのは、これは差別の温存派と言われても仕方がないものだと思うんです。だから様々な問題について、こうやってニュースを向き合っていく場合には、そのニュースの媒体そのものを問われることになるし、と同時に、やはり政党政治の動きについても注目する必要がある。理解増進法という名の下に、実際に理解をどのように増進するつもりなのかということもさることながら、そもそもの権利をどのように考えているのかということについても追求されなくてはいけない。最近ね、なんとなくいい感じの法律名がついて、なんとなくいい感じの法律が通りそうなのかなと思いきや、中身が違うっていうこと、よくあるので、そのあたりもしっかり吟味することが必要かと思います。このテーマはまた取り上げたいと思います」

(2021年5月20日放送 TBSラジオ荻上チキ・session』より)