わからないを捏ねる

5月15日(土)

 6時15分起床。先週に続いて今週末も実家に帰る。理想は6時半くらいに実家に到着し、流しに洗い物が残っていたら片付けて、父が読む前に日本海新聞を読んで、コーヒーを淹れたりできたらと思っているのだけど、なかなか思うように早起きできずもどかしい。身支度を済ませて、洗面台で日焼け止めを塗り、梨作業の休憩時間に食べる丸大豆せんべいをリュックに入れて6時半過ぎに家を出る。

 天候もよく湿度もそれなりに高いので、長袖のTシャツでも汗ばむ。途中歩いておられる方や自転車ですれ違う人たちにあいさつ代わりの会釈をする。おはようございますも一応言ってるけど、その声はか細く認識されないくらいの際の声量になっている。これまで暮らしてきた仙台や岡山の生活圏は、自分を含め街中ですれ違う人たちそれぞれの生活が特定の個人として浮き上がらず埋没していたけど、比較的人口が少なく流動する人たちのバラエティが限られる地元だと、街中ですれ違う人たちの個人の暮らしがくっきりしているような感覚がある。居心地のよさと悪さが併存している。

 7時20分に実家に到着。出発するときに一応母に連絡を入れたので時間を逆算してか、母が庭の手入れをしていた。挨拶をする。自転車の走行中は目にごみが入らないようめがねをかけている。それでも長距離の移動となると黄砂が目に入ったのか、家に到着するやいなや目がかゆくてたまらなくなる。せんべいは持ってきていたが、目薬が持ってきていなかった。居間にあった父の目薬を借りる。父が使っている目薬はサンテのFX NEO。パッケージやデザインがなんとなくギラギラしている気がして、自分はこれまで使ったことがなかったが、クールタイプの目薬ですぐにかゆみが引いた。差さず嫌い。

 仏壇に線香を上げたあと、コーヒーを淹れる。ほどなくして起床した父が二階から降りてくる。緊急事態宣言の話や、県内のコロナのことについて話す。

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 午前中、梨の袋掛け。先週よりも確実に果実が大きくなっている。それと同じようにに葉もまた大きくなっているので、果実を見つけるのがより難しくなる。葉をめくり、袋のかけこぼしがないかを確認する。野生鳥獣に見つかるまいとする植物の戦略に感心しながら作業を続ける。これまでは月に1度帰省する程度だったので、梨の手伝いは一つの過程に一度携わるくらいしかできなかったが、実家の近くで暮らすようになったことで、梨の変化がよりつぶさに感じられておもしろい。

 二十世紀梨は病気に強くない。最も代表的な病気が実が黒くなり売り物にならなくなってしまう黒斑病。袋掛けは黒斑病を防ぐ目的で行っている。いくら黒斑病にならないよう気をつけていても、作業中すでに黒斑病になっている実や葉を見つけることもある。そういうときは捥いで畑の外に捨てる。木の真下の地面にそのまま落としてはいけない。黒斑病の病原菌である胞子が風雨により飛散し、近くの葉や果実に伝染してしまうからだ。

 10時半ごろに一度休憩。私や母と異なり、父は朝ごはんを食べない。甘めのコーヒーを飲むだけだ。それなのに午前中ずっと休まず畑仕事をしているのがすごいという話をすると、私や母と比べて起きるのが遅いから〜とか、二人と代謝が違うから〜みたいなことを話していた。自分は幼いころから梨の手伝いを続けているが、梨畑のどこにどの品種がいくら植えてあるのか正直実はよく分かっていない。ふとしたときに父に尋ねたりすることはあるが、次の日にはすっかり記憶がおぼろげになっている。この日は、休憩中に父にうちで育てている品種を確認する。どうやらうちの梨畑では、二十世紀、ゴールド二十世紀、なつひめ、夏さやか、長十郎、新興、あたご、新雪、王秋、新甘泉を植えているらしい。

 袋掛けの作業中、ジェーン・スーさんと堀井美香さんのポッドキャスト『OVER THE SUN』や『きゃりーぱみゅぱみゅのなんとかぱんぱんラジオ』を聴く。母がきゃりーさんのラジオを気に入っていたようだったので、番組名を教え、radikoのマイリストに追加しておく。昨夜放送の『高橋源一郎飛ぶ教室』も途中まで聴いたが、高橋さんの番組は図書を紹介するパートが中心となるため、袋掛けに没頭しているのにあわせて聴くのには不向きだということで母と意見が一致し中断する。

 お昼ごはんを食べたあと、ご飯を食べる部屋で母と一緒にVimeoで『私はおぼえている』を観る。鳥取で暮らす高齢者の方たちにインタビューを行い、それぞれのライフヒストリーを映像で記録するプロジェクト。新作を含めこれまでに10人にインタビューを行っており、新作2作を除く8作品が現時点プロジェクトのYouTubeチャンネルに公開されている。母とは初回の上映会に参加したことがきっかけとなって、上映会の案内やYouTubeに映像がアップされたりするたびに声をかけており、母も関心を寄せてくれている。新作の2本は昨年12月に倉吉で開催された上映会で初公開、今回のゴールデンウィークにVimeoでレンタル配信された。本当であれば昨年12月の上映会に参加するために帰省するつもりでいたのだけど、コロナの感染拡大状況を鑑みてやむなく見送った。どういうかたちであれ、見逃した映像に触れることができて嬉しかった。

 今週木曜日の仕事終わり、母との視聴に先駆けて2本とも一人で視聴した。それでも観るたびに新しい発見があり、自分に返ってくるものがあるので何度見てもおもしろい。新作二本のうち竹部さんの作品は、映像的なアプローチにおいても、調査手法におけるアプローチにおいても、これまでの9作品とは異なる部分があるように感じた。竹部さんが生活される中津という町は、山間部の豪雪地帯らしい。平成29年度に公開されている町の統計資料によると、中津町の人口は4名。オープニングパートの中津へ向かうためのひどく蛇行する山道を車で進む数分間の映像は、竹部さんがいかに奥まった場所で生活されておられるかを観賞者にたしかに示すような映像だった。これまでは対象者にライフヒストリーをとにかくありていに話してもらうという、どちらかといえば非参与的な形式だったが、竹部さんのインタビューの際は、インタビュワーである波多野さんが非参与であるがゆえのもどかしさを竹部さんにこぼすシーンが収録されていた。波多野さんの言葉を受け止めつつ、それでも状況が好転することが見込めないままならなさを口にする竹部さんの言葉が印象的だった。その言葉は地元で暮らす自分にとっては決して他人事ではない。視界には入っているけど直視はしていなかった事柄とどう向き合っていいのか戸惑う。

 YouTubeに公開されている作品の中では、牧田さんの映像が特にお気に入り。牧田さんは、倉吉で大社湯という銭湯を営んでおられる。大社湯には自分も高校生のころから何度か足を運んだことがある。脱衣所のところで牧田さんと何度かお話をさせてもらったこともあったので、上映会のラインアップに牧田さんのお姿をお見かけしたとき、あ、あの牧田さんだと一方的に親近感を感じたのを覚えている。牧田さんの映像では、ライフヒストリーに加え、赤崎にある 花見潟墓地についても言及されていて、収録時期に合わせて墓地のお盆の風景が収録されているのも非常に興味深い。お話の中には、内容を聞いてもうまくイメージできなかったり、断片的でつかみどころがないエピソードも出てくるのだけど、そのわからなさや連綿としていなさを捏ねるのが楽しい。言葉を待つことの大事さも痛感する。

 午後から梨の袋掛けでは『東京ポッド許可局』を聴きながら作業をする。東京ポッド許可局も面白いと母が話していたのでradikoのマイリストに追加する。途中休憩した際に父からオロナミンCに似た飲み物をもらう。本当は休憩のときに、父と写真を撮ってもらおうとカメラや三脚を持ってきていたが、なんだか照れ臭くなってしまって言えずじまいになってしまった。

 雨が降りそうな天候になってきたので、母と帰宅。農作業で使った服を洗濯し、干す。洗濯が終わるのを待つ間に、姉が読みたいと話していたので自宅から持ってきた『女の園の星』2巻と、姪のうち中学生と小学校高学年の二人が読んだらいいなと思って『スキップとローファー』を実家の元自室の本棚に置いておく。二人が部屋に足を運んだときに、漫画に気づいてもらえるようメモを残す。机の周りに適当なメモ用紙がなかったので、母からバレンタインデーのときにもらったモロゾフの缶に入っていた緩衝材であるペーパークッションをメモがわりにする。雨が降りそうだからと心配する両親を制止して実家をあとにする。雨足が本格的に強くなる前に帰宅。