両親からの電話

 6/24、夜、母から電話がある。電話をもらったとき、ちょうど帰宅したところだったので今日の仕事のことについて話す。普段の母からすれば珍しく世間話をそこそこに切り上げ、父に代わる。先日、父の日にあわせて贈り物をした。毎度のことながら何を贈るのがいいか迷っていたら父の日の当日を迎えてしまい、当日の夜になってようやく注文、そのあと父に電話し普段からの感謝の気持ちと後日荷物が届くことを伝えた。その贈り物の配送通知が今日携帯にあったのでそのことかなと思っていたら荷物のお礼は形式的なもので淡々と終わり、続けて祖母が今日から入院したという話を聞く。

 今月はじめの帰省以降も祖母は食欲がほとんどない状態が続いていたようで、今日は特に容態が悪くて母と一緒に病院へ診察に行ったらしい。診察を終えて帰宅した後も具合が優れず、祖母がトイレへ行った際、廊下でうずくまってしまったという。それを発見した父が救急車を呼んだとのことだった。父と父の妹にあたる叔母が祖母に付き添い総合病院で精密検査をしたところ、胃がんと診断、リンパへの転移も見られ重篤な状況とのことだった。

 しばらくは入院することになるだろうし、もしかしたらずっと入院したままターミナルケアのようなものになるかもしれない、今のコロナの状況から面会も基本的には難しく、帰省したとしても実家に祖母はいないし、病院で祖母と会うのも難しいというような話をされた。祖母のことについて一通り話したあと、祖母のことが気がかりだろうけど心配しすぎないようにと父は私を気遣った。不安にさせないようなるべく穏やかなトーンで話す父の言葉を聴きながら、自分もなんとなく取り乱してはいけないと思い、できる限り平静を装った。

 祖母のことはもちろんすごく心配だった。正直、通話中いてもたってもいられなかった。同時に、両親や祖母の娘にあたる叔母への負担がこれから集中してしまうかもしれないことについて心配になった。自分が心配になりすぎて両親と連絡を逐一取るのもひょっとしたら両親に負担をかけてしまうかもしれない。頻度は気をつけなければいけないと思うが、それでも両親の張り詰めた気持ちを逃す場として自分が少しでも役に立つのならこまめに連絡はしようと思う。そういうことを電話をしながら考え、父に伝えた。

 電話を終え、しばらく考え込んだあと、祖母のことについて姉にも連絡したという父の言葉を思い出し、姉にメッセージで連絡する。姉が悩んだり悲しくなったときは気軽に自分を話し相手にしてほしいということと、姉が姉自身を責めたりしないで優しくするように伝えた。姉のほうが私よりも幼い頃から祖父母にうんと育ててもらっている。姉にとって祖母はもう一人の母のような存在だと思うし、祖母への想いは並々ならぬものだと思う。最近の祖母の容態については姉も気にかけており、実家へ定期的に顔を覗かせていた。姉の立場を想像し、父からの電話を受けたあと、自身の気持ちについて考えるだけでなく、姉の夫や姪甥たちにも祖母のことを共有するとなれば容易なことではないなあと思う。

 

 書く内容はそのときどきで差異はあれど、この日記には自分の家族のことを特に意識して書き残すようにしてきた。それは自分が改めて気にかけないと忘れてしまいそうな日々の小さな起伏のようなものをそれっきりのものにしたくなかったからで、時間が経っても家族の振る舞いや自分が感じたことを思い起こす手がかりになるようなものを残したいという気持ちから続けてきたことだと思う。ふとしたときに日記を読み返しこの手がかりのようなものに触れることで自分自身を省みるきっかけになったり、慰められたことがこれまでに何度もあった。もともとは家族を大事にしたいと気持ちも、今では少しずつその枠組みが広がって近しい周囲の人たちを思いやる気持ちとなっている。一昨年の祖父のことをきっかけに、祖母をはじめ家族のことや周囲の普段仲良くしてくれる人たちのこと、自分のことについて改めて考えた。この気持ちは自分の中でこれからも匿っていきたいし、態度や行動としてこれからも示していきたいと思った。