【雑記】いつかの受験体験記のようなもの(母編)

浪人生活を振り返って

 2014年3月9日日曜日お昼の3時過ぎ、自宅の炊事場にいた私のもとに息子が駆け寄ってきました。「僕の受験番号あるよな?」と受験票と合格発表のページを開いた携帯を手に持ち、すごく緊張した様子の息子から確認を求められ、合格を確認しました。○○大学に行きたいと言い続け、○○大学に入学することを目標にして生活をした(出身高)での3年間と(予備校)での1年間でした。

 2013年1月、1回目のセンター試験当日、息子はごはんをろくに食べないまま、慌ただしくセンター試験の会場へと向かいました。そのときの様子は私の中に鮮明に残っていました。

 1回目のセンター試験の結果は残念ながら振るわず、希望ではなかった大学を受験しました。前期試験は不合格でしたが、続けて受験した後期試験は合格しました。親としては、希望ではないにしてもせっかく合格したのだから、ぜひ進学してほしいと願っていました。しかし、このことに関して親子間で衝突がありました。息子は一貫して「一緒にがんばりたい友達がおるけ僕は浪人して(予備校)で勉強したい、もう1年勉強して○○大学を目指したい」と言い続けました。親としては、浪人をして志望校に必ず受かるということがわかっていればそうしたいが、それがわからない今、せっかく合格した大学へ行かないのはもったいないのではないかと思っていました。親だけでなく先生方や親戚との話し合いを経ても、結局、息子の気持ちを変えることはできず、時間だけが刻々と過ぎ、浪人をすることになりました。息子の強行突破による浪人だったので、浪人が決まってから私も父も何をするにしても力が入らず、しばらくは息子を前向きに応援することができませんでした。

 そういった気持ちがあったので、(予備校)の入館式は二人とも出席しませんでした。出席しなかったわけには息子が浪人することへの抵抗感があっただけでなく、親の世間に対する見栄のようなものもあったのかもしれません。ところが、喜ばしい(予備校)初めての入館式ということもあり新聞にその報道が掲載されたことで、息子が生徒代表として挨拶したという内容も掲載されてしまいました。親としては嬉しい反面、皮肉にも知らせなくていい人にも息子が浪人したということが広まってしまいました。しかし、このおかげもあって以前からの見栄を気にしなくてよくなったのかもしれません。

 (予備校)に入館してから息子は毎朝、開館時間の6:30にいち早く登校できるようにと6時頃には自転車で(予備校)へ出かけて行きました。なるべく家族に迷惑をかけないようにと小雨が降る中でも自転車で出かけたこともありました。朝早く出かけたわけには、勉強したいという気持ちがもちろんあったのだと思いますが、内心では朝早く登校することで人目を避けたい、というどこか引け目を感じる気持ちもあったのではないかと思います。このほかにも携帯電話は半年近く私に預けて進学した友達をはじめ、知り合いの人たちと連絡をとりませんでした。ここにも勉強に専心したいという気持ちだけではなく、内心では劣等感のようなもの感じていてずっと悔しかったのではないかと思います。

 登校時間のほかにも、生活面において息子に変化がありました。朝ごはんを作ったり、弁当を作ったり、自分の衣類を洗濯して干したりを一人暮らしの練習をするかのように自分でやっていました。親としては一時的なものだろうと思っていましたが、気付けば1年通して少しでも自分ひとりでできることを身につけようとがんばっていたなと思います。

 また、現役生のときと比べて浪人した息子は、学校での行事のことや、自分の模試の成績について積極的に親に伝えてくれるようになったなと思います。以前であれば、学校からの連絡といえば用紙をそっけなく渡す程度のものでしたが、浪人してからは私たちがテレビを見ているときなどに2階にある自分の部屋から降りてきて「ちょっといい?」と話しかけ、詳しく説明してくれました。また、息子は説明会や懇親会、三者面談など(予備校)関連の行事があるたびに親である私たちになるべく積極的に参加してほしいと言っていました。このような意向もあり、先生と保護者の懇親会はその後数回あったのですが、全て出席させていただきました。父の方はというと、懇親会には出席こそしませんでしたが、説明会や三者面談には積極的に参加してくれました。このように親が息子の熱意に触発されたこともありました。実際に、懇親会や説明会に参加することで私の抱える浪人に対して私が抱える不安を取り除くことができたので、参加をして本当によかったと思います。

 朝早くに学校へ向かい、夜は7時半ごろに帰宅するような生活を続けて迎えた2回目のセンター試験当日。息子は誰かに起こされることもなく4時に起床して、車で駅まで送るという私の申し出を断り、5時には自転車で倉吉駅へ出発しました。このときに1回目のセンター試験の様子が思い起こされ、息子の成長をたくましく感じました。

 センター試験での結果を受け、前期は志望通り○○大学を受験し、試験を終えた後の電話では「どの教科でも大きな失敗をした感じがない」と言っていました。その手応えは合格という結果となりました。合格した直後の○○は、私に報告したあとに、自宅にいた祖父母をはじめ、親戚や友達や中学時代の先生にも電話を通じて報告していました。

 息子の2度に渡る受験をそばで経験して思うことは、子どもの人生は子どものものであり、親が無理に決めることではないと思います。そういった意味ではよくぞ、自分の意志を通し、自分の夢を叶えてくれたと言いたいです。

 そしてなんといっても息子をたくましく成長させて下さったのはのは、毎日朝早くから夜遅くまで(予備校)を開館してくださり、御指導していただいた先生方のお力です。(出身校高)での3年間で考え方、学び方などの基礎をつくっていただき、(予備校)での1年間でさらにそれを伸ばしていただいた事は親である私たちにはできないことです。御指導いただき、本当に感謝しています。