【雑記】出かけるときの荷物が重い話

 個室トイレに入って便器の後ろにあるスペースに荷物を置く。便座に座って何気なく前方を見上げると、扉の内側に荷物をかけるためのフックが備え付けられていることがある。このフックを私はこれまで一度も使えたことがない。持ち歩いている荷物が重すぎるせいでどうにも気がひけてしまうからだ。思えば私はいつも必要以上に荷物を持ち歩いている。

 高校生の頃、もともとはナイキのエナメルバッグを使っていたが、いつのころからか格好つけてリュックで通学するようになった。たしかLowe Alpineのリュックだった。エナメルバッグと比べるとどうやってもそれまで持ち運んでいたものすべては入りきらない。ノートやテキスト、ファイルを詰めたことでできる少し斜がかった平らなスペースに、ジーニアスの英和辞典を置く。そんなパンパンに詰まったリュックを教室机の側面についているフックにかけていたら、リュック側のフックがその重みに耐えきれず、ちぎれた。そのとき初めて自分の荷物が重いことが客観的に示された気がして、重いものを持っていることが途端に恥ずかしくなった。

 それでも財布と携帯だけではどこか心配で出かけられない。とりあえずモバイルバッテリーとUSBケーブルが必要だと思い、どこかに出かけるなら買い物をするかもと思いエコバッグを詰め、何か考えごとをするかもと思ってノートと筆箱を用意する。どこかに出かけたときにフリーペーパーや映画や展示のチラシを持ち帰るかもしれないと思ってクリアファイルを準備したが最後、ショルダーバッグでは容量が足りないと思ってリュックに切り替える。ここからはいつものパターンで、それなら読書もするだろうし、何なら勉強だってするかも、とテキストやノートまでリュックに詰める。高校生の頃からちっとも学んでいない。

 床屋に行くときにお荷物お預かりしますね、という言葉に怯える。持ってもらう前に重いです、と一言言うようにしている。相手への配慮と、自分が傷つかないための自衛の言葉。お、ほんとだ、けっこう重いですね、などと返されたときには自衛の構えも虚しく逃げ出したい気持ちになる。

 フックに荷物をかけられるのはよほど荷物が少ないときだけで、たいていの場合は重いので飲食店のフックも使えない。スタバの机の下にあるフックも少し前に気づいて便利だとは思ったものの、ほとんど使えたことがない。カゴ型の荷物入れを準備してくれているお店でも底の生地が伸びてしまうのではないかと使うのが躊躇われる。ドトールの傾斜がかった荷物置きは重さを問題としない作りでいつもありがたいと思っている。荷物置きがないお店では隣や向かいの席の椅子に置いたり、座った状態でひさの上に置いたりする、よっぽど床が汚れていなかったら地べたに荷物を置く。だけど、荷物はなんとなく出し入れがしやすい手の届くところに置いておきたい気持ちもある。荷物が横の椅子に置けるくらい、空席状況のお店でないと居場所がないと決め込んで、お店の前で入店を諦めてしまう。荷物が多いので雰囲気の良さそうな喫茶店にも場違いな気がして敬遠してしまう。

 重い荷物を背負ったままの移動時間が長いと私はすぐ機嫌が悪くなってしまう。よくない習性。荷物を重たくしている張本人は自分自身だと言うのに。好きだった人と旅行に行ったときに、重い荷物を背負い続けて、不機嫌になり失礼な態度を取ってしまったことがあった。身勝手なことをしてしまったと今でもその当時を思い出しては苦々しい気持ちになる。反省して、イライラする前兆やそういう事態が予見されるときは、躊躇せずコインロッカーを利用するようにした。誰かと一緒に過ごすときはそれができるのに一人だとついいつものように荷物を重たくして出かけてしまう。

 結局出かけたって、チラシを持ち帰らないときだってあるし、勉強も読書もろくすっぽしないで帰ってくることだってある。携帯の充電も就寝時にしっかりしているのだから、モバイルバッテリーが必要ないことだってある。それでも、何か不足したり、忘れたりすることで出かけている間にそればっかりが気がかりでしょうがないあの感じにはどうにも耐えられない。これがあったらよかったのにというつっかかったあのもどかしさを克服するにはどうしたらいいのだろう。そんなことを財布をズボンの後ろポケットに入れ、携帯を前ポケットに入れた荷物を持っていない人を見ては思う。今日入った個室トイレには扉のフックもなければ、便器後方の荷物置きもなかった。だから荷物が重いのは嫌なんだとくさくさしながら、自家発電の悩みに今日も落ち込んでいる。