【雑記】けつべん

 汚い話。今週は起床後と帰宅後にトイレに行くと必ずと言っていいほどけつべんが出ている。体内から外へ出るときが一番痛い。あまりの痛さに耐えられず、このままではずっとトイレにいてしまいそうになるので、右足で大きく足踏みをして、その振動で少しずつ排便し、誤魔化している。そろそろ医者にかかった方がいい気がする。

 昔からおなかとおしりが弱く、プレッシャーを感じるとすぐ便秘気味になってけつべんが出る。中学校で卒業生代表の答辞を任されたときもけつべんは出た。担当の先生に答辞の文案を連日持って行っていたのだが、なかなかいい文案は思い浮かばず。夜中に筆が異様に乗って書いた文章は熱がこもりすぎていたようで、放課後受け取った原稿には赤線がびっしり引かれていた。いい人だと思われようとして無理に笑顔で対応し、平静を保とう努める自分の代わりに、おしりが正直に泣いていた。おしりは正直。

 ちょうどその時期に校内放送の好きな音楽をリクエストできる時間にウルフルズの「明日があるさ」を流したことがあった。放課後、添削してもらった原稿を受け取る際、その先生から「答辞の提出には明日はないからね」と詰められた。ただ好きな曲をかけたかっただけなのに深読みされたことが悲しくて、帰り道にいじけて帰ったのをふと思い出した。三連休は絶対ゆっくりする。

【雑記】祖父母の部屋の整理

 母から職場の人に渡してと言われせっかく持たせてもらった地元のお菓子・宝製菓の「大風呂敷」を一人夜中に少しずつ食べている。週明けに職場へおみやげを持っていくのがベストタイミングだということを頭では分かっているのに、月曜日に持っていくのをうっかり忘れてしまった。そうなってしまうと週の半ばに「週末帰省してて〜」と言い出しお土産を配るのがどんどん億劫になってしまう。さらっと言いだすのが本当に難しい。結局ずるずると自宅で一人大風呂敷二箱分をちびちび食べている始末。

 先月、祖父の新盆で帰省した際、祖父母の部屋を掃除した。葬儀の前後で多少は遺品整理をしたものの、部屋には祖父の衣類、日記帳、捨てられずにいたものがまだまだ残されていた。祖父に似てしまったのか、なんだか捨てるにはもったいないと感じてしまい祖父の衣類を少しずつ貰って着ている。黄土色の半纏は特にお気に入り。祖父の日記はいつ読んでも元気をもらう。実家で暮らしていたときは、お風呂を上がったら祖父母の部屋に行って次にお風呂に入ってもらうよう声かけをしたり、二階の寝室に上がる前におやすみと一声かけたりしていた。その時に、祖父が机に向かって日記をつけていた光景はたぶんこれからも忘れないと思う。

 今回整理したものの中には、祖父が70〜80代になって同級生と行った旅行のしおりのようなものも沢山残されていた。しおりには名簿がついており、同級生の氏名、生年月日、住所などが記載されていた。その中の項目の一つとして備考欄も設けられており、死去と印字されている人がその名簿の半数を占めていた。加えて、その旅行で集合して初めて新たに亡くなった人が分かったのか、手書きで死去と書き加えられているものもあった。世の無常と同級生で集まって友人が亡くなったことを確認しあう旅行を思い、なんとも言えない気持ちになった。

 気軽に話せる相手がおらず、手持ち無沙汰で寂しそうな祖母の姿を帰省する度見るといつももどかしく思う。帰省した際は今でも風呂上がりや寝る前に祖母の部屋を訪ねて声をかけるのだが、テレビの音が大きいのにもどこか悲しい気持ちになる。祖母が家で生活するにあたって少しでも退屈な気持ちや寂しい思いが和らぐよう、自分ができることは何があるか考えて、今回の整理でたくさん出てきた祖父母の旅行写真をアルバムにまとめることにした。それと祖母へ仕事のことなどを手紙に書いてこまめに渡そうと決めた。今度は彼岸に帰省する予定なので、それまでに今食べてしまっている大風呂敷のことや仕事でもやもやしてしまうことなどを手紙に書いてみようと思う。

【雑記】汗拭きシートと自意識

 先日、オードリー若林さんの新刊『ナナメの夕暮れ』を読んだ。前回のエッセイとあわせてこれからもずっと自分の指針になる本だと思った。自意識にとらわれてスタバでグランデが頼めないという話を久しぶりに読んで自分も最近似たようなことがあるとふと思い出した。

 それは膨れ上がった自意識が邪魔をして、職場で汗拭きシートが使えないこと。普段、職場へは歩きか、もしくはレンタサイクルを使って通勤している。電車や車で通勤される他の職員の方と比べると職場のかなり近くに住んでいると思うが、それでもこの時期は職場に着く頃には汗をかく。午後になると顔が次第にてかりだす。午後に一度はトイレへ行くけれど、ひょっとしたら顔を洗うついでに用を足しているのかもしれない。リュックには汗拭きシートが入っているけれど、デスクで清涼感のある香りがする汗拭きシートを出すことと、汗拭きシートを使っているところを見られることになんとなく抵抗がある。トイレに行く際にポケットに汗拭きシートを忍ばせばいいのかもしれないが、そのこっそり仕込む瞬間を見られるのもなんとなく気恥ずかしくなかなか実行に移せない。

 結局、上司や隣の職員の方がが会議などで席を外しているときや、電話応対をされているときなどにこっそりささっとデスクで汗拭きシートを取り出し、てかっているであろう箇所を必要最低限拭き取り足元のゴミ箱に急いで捨てる。職場のメール相手なんかよりずっと本当にいつもお世話になっております。適度な清潔感を保つための過度な自意識が本当に鬱陶しい秋の訪れ。

【雑記】生活の知恵袋と好きな番組のメモ

 最近になってようやく、日常的に使用するものや、長く使いたいものに手入れをするようになってきた。衣類用にホコリ取りブラシをこしらえて上着にブラシをかけたり、普段履いているくつにブラシやクリームをかけたりして長く使用できるよう努めている。こういう習慣は意識しないとなかなか定着できないものだと思うので普段からの心がけが大切である。

 しばらく前に土鍋を購入した。食材として加えた餡餅が鍋底に焦げ付いてしまいなかなか洗い落とせなかったが、重曹を加えた水を沸騰させたら面白いくらいにぶくぶくを焦げを剥がしてくれた。重曹はすごい。

 一人暮らしを始めてから使っている炊飯器も約4年お世話になっているだけあり、炊飯器底の熱板と呼ばれる部分に黒い焦げがあった。これは激落ちくんのようなメラミンスポンジでこすったところかなりきれいになった。メラミンスポンジもすごい。

 電子レンジも長年使っていると、蓄積された様々なにおいが手を取りあいニオイを発しはじめている。これにはオレンジの皮を入れてチンするとよいと記事で読んで実践した。これに関してはあまり大きな成果が得られなかった。相変わらずほのかにカレーのにおいがレンジからする。

 白いシャツの襟が皮脂で黄ばみやすい。これは中学生になってワイシャツを着だした頃からの悩みである。汗っかきである私はとにかく襟が汚れやすい。中高生の頃、他人の襟と自分の襟を比べ幾度落ち込んだことか。スプレータイプの洗剤や襟用石鹸など試してきたが、食器用洗剤が一番効き目があるように感じる。洗濯前に食器用洗剤で襟を手洗いすると皮脂を手洗い中と洗濯中に洗い落ちやすい。以前よりはたしかに黄色に変色しにくいように感じる。

 

 テレビやラジオを視聴する中で、これは忘れたくないなと思う瞬間がよくある。メモし忘れて、TVerでの視聴期間が終了してしまったり、radikoでのタイムフリー期間が終了してしまうことも少なくない。最近メモしたものをいくつか記録しておく。

 2018年1月8日、テレビ東京系新春ドラマスペシャル『娘の結婚』中井貴一演じる父・國枝孝彦と波瑠演じる娘・國枝実希が嫁入り前の最後の年末を二人でゆっくり過ごすシーンのナレーションにぐっときたのでメモした。

私たちは話した。他愛のないことばかり。
玄関のたたきに冬のダンゴムシがいたこと。
マコトくんの家にあったマグネットのパズル。
来年の阪神タイガース。廊下の切れかかった電球。
アジフライには塩。徳利とお猪口のちがい。
町内会の会費が未納だということ。
どうでもいいような話を、大切な日常の話を、
きっといつか懐かしくて泣けてきそうな他愛ない話を。
こんな夜はもう二度と、来ないかもしれないから。

 2018年1月28日、ラジオ日本『前野健太のラジオ100年後』。みうらじゅんゲスト回。

男キッスについて。

 ノンケでも(キスを)してもいいじゃないか。男と女がするように、長い付き合いになって、ねえ、せっかく男同士で盛り上がってんのに、なんか、キメがないっていうのが、飲み屋の帰りとか、悔しいもんでよく山田五郎とかとはキスしたりとかしてたのよ。キスすると「ほんじゃね」ってほら、タクシーで別れられるんだけど、なんかぐずぐず男の飲み方って終わるじゃないですか。「ん〜、またね」みたいな。そこにね、やっぱタクシー乗り場のそっとタクシー止めてから乗る前にチュッと一発やるとね、男キッス決めるとね、なんか気持ちよく別れられるっていうか、それの提案の歌を作ったんです。

 2018年1月30日、Fm yokohama 松重豊『深夜の音楽食堂』。おたより大作戦回。自信はどうやってつけられるのかという大学院生からのお便りに対する回答。

 そうですね、まあ、10代・20代のころはね、自信っていうものはね、なかなかね。自信を継続させるだけの、まあ、それだけの蓄積もないもんですからね。あの、自信がないなあって思いながら頑張ってれば、なんとかなってくもんじゃないかなと思うんですけどね。
 ぼくらの年になってくると、自信っていうものはそれが下手するとその瞬間慢心というものに変化してしまって、そこから自信があったものから奈落の底に突き落とされるっていうことだってあると。日々やっぱり初心にかえるっていう思いでやらなきゃいけないって風には心がけているんでね。
 自信ってものはつけようと思うよりも、えー、なんだろう、なにかこう、仕事でも勉強でもなにかこう、求められたものに対して自分が自在に答えを出せる、自由になるっていうことに慣れればね。なんかこう、自信ってわけじゃないけど。要するに仕事に対しても、学問に対しても自由だな、楽しいなって思えれば、なんとなくそれが自信だったりするのかもしれないし。そういうふうに、自由に、自在に楽しめるようになればと。
 そうなっていけば、まあ55歳くらいには、なんとなく自信あるのかないのかなっていうぐらいのところにはいけるかもしれませんね。そんなね、まだまだ今は苦しんでください。ええ、思いっきり苦しんでください。そのうち楽しい老後が来ますから。お便りありがとうございました。

【雑記】祖母からの電話

 先日、夜に実家の祖母から電話があった。こないだ贈った座椅子を喜んでくれたようで、そのお礼の電話だった。帰省した際、祖母は元気がなく心配だったので、久しぶりに明るい声色を聴けて嬉しかった。

 年末に突然祖父が亡くなった。クリスマスイブの夜、オードリーのチャリティーミュージックソンを聴きながら卒業論文を進めていたら兄からその連絡があった。年始に卒論の提出期限を控えていたが、年明けすぐにある内定先の懇親会との兼ね合いから、年内に卒論を提出して年末は実家でゆっくり過ごす予定だった。予定とはかけ離れた慌ただしい年末となった。卒論はひとまず後回しにして、27日に帰省した。私が卒業論文にとりかかっていることをなんとなく知っていた父は、通夜や葬儀に間に合うよう私に無理して帰省してなくてもいいと母に言っていたそうだが、それは優しさが過ぎると父には言わなかったが思った。

 通夜に間に合うよう帰る予定だった。しかし、通夜には結局間に合わなかった。というのも、特急に乗るまでの待ち時間にホーム内の待合室に滞在しすぎてしまったからだ。通夜や葬式の式次第はどんなものか、服装はどんなものか携帯で調べながらぼんやり考えていると、祖父がいなくなってしまったことを改めて実感した。ふと気がつくと特急はちょっと前に駅を出発していた。通夜には出席できなかったが、最寄駅まで迎えに来てくれた姉と姪と一緒に通夜後の斎場へ行った。

 家に帰ると親族や近隣の方達が仏間で食事をしていた。経机には祖父の遺影が飾られていた。夏に祖父に贈ろうと思っていた股引をプレゼントできないままだったなあと思いながら手を合わせた。葬式の日、誰にも話したくない思い出の品を模したものを紙で作った。それを祖父の棺にこっそり入れた。

 思えば、祖父の行動のほとんどは褒められたものではない。食事中にご飯茶碗にお茶をそそぎ入れ歯を洗い始めるし、鍋やフライパンに残った少量のおかずを箸やお玉で音を立てて何度も取るし、戸を開けたままトイレで用を足すし、風呂で自分が体を洗うために使ったタオルをその後に風呂に入る人たちが使うと信じて止まず浴室に残していくし(それを母がいつも回収している)、家族それぞれのスリッパを勝手に履いて水虫を家族内で蔓延させるし、自分の気に食わないことがあると「へっへっへ」と笑ってごまかす。でも周囲に温かい優しい祖父だったとたしかに思う。祖父のことを思うとくすりとしてしまうことばかりだ。それに加えて今はちょっとほろりとくる。 

 祖父は廊下にあるマッサージチェアが好きだった。たぶんそこから見える景色も好きだったのだと思う。玄関がその直線上にあるので、家族の帰宅や来客がすぐわかる。私が小学生のとき友達と庭で遊んでいた様子もマッサージチェアに座りながら眺めていた。仏間やその隣の和室で私と姉と姪甥が話している声が聞こえると、他の部屋から移動してマッサージチェアに腰掛け会話に参加するわけではなく静かに耳を傾けていた。帰省している間に、ふと思い立ってマッサージチェアのある廊下の窓拭きと障子の張り替えをした。

 帰省中、仏間の隣の和室にはこたつが用意されていた。普段、祖母は居間にいることが多いが、年末は和室のこたつでよくゆっくりしていた。仏間とを仕切る襖を少し開けて経机が見えるようにしていた。もともと私の部屋だった一室が物置部屋になりつつあったのと、祖母と一緒に過ごしたいと思いもあり私もなんとなくそのこたつでゆっくりした。

 祖父は日記をつけることを習慣にしていた。亡くなる二日前まで日記が書き記されていた。最近は足腰が悪く外へ出歩くのも億劫になっていたし、もの忘れも多かったけど、自分のこれまでの習慣をそれでも続けようと、思い出や大事なことを書きのこそうと抗う姿がそこにあった。10月に帰省した際、もの忘れの多い祖父母がいつでも思い出せるよう、私が春からどこで働くかについてと最近の近況を手紙にしてそれぞれに手渡した。それを貰ったことや、就活で頻繁に帰省してくれること、実家の近隣の県で働いてくれることが嬉しいということを日記に書き残していて余計にやりきれない気持ちになった。

 悲しい気持ちはたしかにある。けれど、泣くのは嫌だ笑っちゃおうという「ひょっこりひょうたん島精神」で周囲にはふるまいたい。そういうところが祖父に似ているなと感じる。今度は四十九日に合わせて帰省する予定だ。