誠実な人だと思われたい

2022年7月15日(金)

仕事終わりにスーパーで買い物をしてシェアハウスに到着。玄関を出たところで住人の方が足元に何かないか探している様子。気になって声をかけると、部屋の鍵をどこかに落とされたらしい。一緒に探す。iPhoneのライトで足元を照らし、普段よりも歩幅を狭めて見落としがないように5分ほど足元を探す。鍵は一向に見つからず。鍵を落とされた方も申し訳なく思われたのか、もう十分ですよと私に声をかける。その方は日本語が第一言語ではない方で、普段のコミュニケーションも基本的には英語を使用されている方だったので自分がほかにできることとして、WEBなどから夜間の問い合わせサポートサービスがないか探す。残念ながら営業時間外だった。今晩はシェアハウス内の仲のいい人に相談してみるのがいいかもしれないと伝える。一緒に玄関を入って下駄箱のところで解散する。ほどなくして下駄箱の反対側から鍵を落とされた方の驚いた声が聞こえる。室内用のスリッパを手に持って近寄るとその方の手には部屋の鍵が。どうやら下駄箱の上のところに鍵を置いていたのをすっかり忘れていたらしい。大きな問題にならなくてよかったと話して解散する。

 

2022年7月19日(火)

健康診断の日。始業前に委託先の医療機関に立ち寄り健康診断を受診する。診察に先立ち健診衣に着替えるため更衣室へ。受付での説明でインナーは着ていてもいいという案内があったので、そのとき着ていたベージュのエアリズムは着たままで健診衣を着る。更衣室から出て待合室に座り自分が呼ばれるのを待つ間、想像よりも検診衣が深いボートネックだということに気づく。大きく空いた襟元からエアリズムが顔を覗かせている。小っ恥ずかしさを覚える。ほかの人はたぶん誰も気にしていないが、さまざまな場所に移動するたび、ささっと手を襟元に入れてエアリズムの生地を肩峰側に追いやる。挙動が変なので、鎖骨がやけに痒い人だと思われていないか今度はそれが心配になる。

 

2022年7月22日(金)

眠れず。4時にお風呂に入り、顔剃りや腕や指の毛を剃る。浴室の鏡がやや遠くて、顔を乗り出しておでこの顔剃りをしているとき、誤って右眉の眉頭の毛を刈ってしまう。取り返しのつかないことをしてしまった、なにも眠れなくて集中力が散漫になっているときに顔剃りすることはなかったと後悔が頭を占める。

新宿駅近くのワークスペースを利用して仕事をする。オンライン会議などの際に利用できる扉付きの一人用のブースがいくつか設けられていた。自分はこの日オンライン会議等がなかったのでそのブースは利用せず。そのブースを利用していた人が何人かいたが、防音機能があまりに不十分でブースで話しているにも関わらず話し声が丸聞こえだった。むしろブースに入っていることで逆に音が反響して大きくなっているんじゃないかと思うほどだった。でもこれをブースに入っている人には伝えにくいなあと思いながら、イヤフォンのノイズキャンセル機能を活用して過ごす。

 

2022年7月27日(水)

仕事終わりにめがねの受け取りでJINSに行く。新しいフレームのめがねとSummer Sonic用のサングラスの調整をお願いしていた。レジにおられた方は先日めがね選びの際に接客対応してくださった店員さんだった。先日はお世話になりましたと声をかけ、レシートを渡して商品の準備をお願いする。レシートを読み込んで品物の確認をされている店員さんから「マスク、ありましたよ」と言葉をかけられる。なんのことか咄嗟に思い出せず、先日の会話を急いで思い出す。

その店員さんに先日接客してもらったとき、自分のつけているマスクがどのドラッグストアに売っていたかを教えたのだった。つけていたのはSPUN MASKのグレージュカラーで、その色いいですねと褒めてもらった。SPUN MASKは二つ折りしやすく、色も淡いベージュで気に入っていたので、めがねが主題のお店でふいにそんなふうに言ってもらって嬉しかった。そのときの店員さんはSPUN MASKの、よりベージュが濃い色味のマスクをされていて、この濃さがちょっと惜しいんですということを話されていた。後日自分が伝えたドラッグストアで取り扱いされているのを見つけ早速購入されたらしい。なんだか嬉しかった。こういう会話やコミュニケーションを自分もほかの人にしたいなと思った。

 

2022年8月7日(日)

はてなブログの友人GAMEBOYZさんとPodcastの収録をする。1年以上前にぜひ参加してほしいというお誘いをしていたのに、時機を逃すと踏み出し時を自分で作れなくなってしまう悪いところが出てしまい、1年以上を経て収録に至った。ずるずると延ばしてしまったあとのやりましょうというきっかけもゲムさんからいただいた。本当に感謝している。私もきっかけを作ったり、練り直したりできるようになりたい。

シェアハウスの中に防音対策がされている音楽機材が置かれた部屋があり、収録も広く捉えれば音楽活動の一つだろうと勝手に解釈して、収録のために初めて利用する。録音した音源を聴き返すとたしかに雑音が少なく、ゲムさんの声も自分の声も明瞭に聴こえたので今後もここを利用しようと思う。(編集後記で録音したものは自室で録音したもので外を走る車の走行音が入ってしまっている)

収録中の反省もある。相手を紹介するときはもっと滞りなく自分でしゃべらないといけない。序盤から相手に会話の補足を委ねすぎてしまっている。もっと導入は自分主導で話さないといけない。かと思えば終盤は自分主導すぎる。相手に一言振り返りだったり、何か伝えたいことがないか、その有無に関わらず確認する必要があった。一方的に何かを伝えるべきところと双方向であるべきところがしっちゃかめっちゃかになってしまっていたのを省みる。

open.spotify.com

 

2022年8月12日(金)

2022年なのにたまに2020年と誤ってタイピングしまうことがある。手癖で2021年と打ってしまうのであればまだ理解できるが、2021年ではなく2020年。キーボードを直前まで「0」に置いているので反射的なミスタイプで偶然であると思う。とは思いつつも、このミスタイプをするたびに(そうそう、2020年からなんか止まっちゃった感覚なんだよな~)とほんの一瞬だけしんみりした気分を味わってバックスペースキーを叩く自分がいる。今現在の自分はというと、その止まってしまった感覚が継続している感じはほとんどない。この気持ちは2022年度末くらいまでの気持ちなのかなと思う。たぶんこの2年ちょっとのこともいつか手触りがなくなる感覚なのかもしれない。そう思うとこの鬱屈とした気持ちを忘れてしまいたいし、一方で覚えておきたいので書き残している。なにか2020年に味わった経験のない気持ちだったり、必ずしも人との出来事に限定されない「喪失」のようなものをどこかで引きずっているんだろうなあと思う。

ミスタイプ以外にも音楽でも類似の感覚を味わうことがある。2019年の音楽と2020年~2022年3月くらいまでの音楽が自分の中で時間の感覚がなんだか違うように感じる。2019年までの音楽はなんとなく実生活を振り返ってこのあたりの頃だとピンが打てるのだけど、2020年〜2022年3月くらいまでの音楽は打ちどころが定まらない作品が少なからずある。

 

2022年8月14日(日)

相手の文脈に乗っかってしまう。これまでその習性をLINEの文章や絵文字において感じることはあったが、最近新たにこれも相手の文脈に乗っかっているなと気づいたことがあった。

それはリンクの送り方。何かを誰かに共有するとき自分は一次情報になるべく近いものを共有したいと考えている。行きたいお店があれば、そのお店の公式ホームページを可能な限り送るようにしている。誰かと共有したい本や映画がある場合も出版社のサイトや映画の公式ホームページのリンクを送ることが多い。そのことで誠実な人だと思われたい気持ちもたぶんどこかしらである。もちろん、たとえホームページがあっても参照できる情報が少なかったり、ごはん屋さんなど集合するにあたってアクセスがより重要になる場合はGoogleマップのリンクを送ることもある。

こないだ友人とごはんに行こうとやりとりをした際、友人は食べログのリンクを送ってきてくれた。この人はもしかしたらごはん屋さんの情報共有をするとき、食べログがよりやりとりしやすいのかもしれないと思った。このお店も気になっていると自分もお店の情報を伝えるとき、相手の文脈に乗っかるかたちで食べログのリンクを私も送る。たしかに飲食店は予算が分かりにくいところがある。雰囲気の良さそうなお店に行ってみてメニューを開いて、目を丸くすることが未然に防げるのはお互いにとても大事。食べログの利便性も十分にわかるし、それはときに自分が普段踏襲している方法よりも効果的で適切だと思って、自分も今後選択肢として取り入れようと思った。

一方でこれがもし本や映画で、相手が映画.comやFilmarksのURLだったり、Amazonのリンクを送ってきたとき、今回と同じように対応してしまうのかなあと想像をめぐらせる。レビューを気にしていないわけではないが、レビューがその対象を知るときに自分の第一印象として真っ先に触れるものになることにやはりどこか抵抗がある。エンタメに関しては特に強くそう思う。たとえその共有において他者との不一致があっても、その不一致さによるぎこちなさをこれからは持ち合わせてもいいんじゃないかと思う。やはり誠実な人でありたいし、誠実な人だと思われたい気持ちもある。でもそれを恥ずかしいと私はもう思わない。