息を潜める

最近聴いてる曲 Jordan Rakei - Send My Love

Jordan Rakeiが8月5日にリリースした新曲「Send My Love」がお気に入りで繰り返し聴いている。この楽曲は、Jordan Rakeiが9月17日にリリースする4枚目のオリジナルアルバム『What We Call Life』からの2曲目となる先行リリース曲。

「Send My Love」の前に先行リリースされた「Family」では、Jordanが10代の頃に離婚した両親や兄弟、2015年まで暮らしいていたオーストラリア・ブリスベーンでの混濁した心境について歌われていると解釈している。その楽曲に続くこの「Send My Love」では、そのオーストラリアの家族に向けて、自身の現在の心境を打ち明けるような楽曲となっている。イントロや、Verse1とChorusの間に挟まれるボーカルが途切れる2小節には、緊張や躊躇いや決意が混ざり合ったものを感じ取ってしまう。80sリバイバルも好きだし、寂しさの表明や自己肯定やセルフラブの曲ももちろん大好きだけど、この楽曲が打ち出す外向きの気持ちが今の自分にもしっくりくると思った。


『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

8/7、シネマエポックで『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』を観る。三連休だからご家族とかで観に来る人も多いかもしれないと思い、シネマエポックの中でも一番上映時間が遅い16時半からの回で観る。観客は私だけだった。貸切の映画館。

映画はすごく面白かった。物語は天カス学園への入学を夢見る風間くんがカスカベ防衛隊のみんなを誘い出し、天カス学園での一週間の体験入学の様子を描いたもの。

今作で個人的に特に印象的だったのは、しんちゃんの不在によってあぶり出されるみさえの心情描写だった。その描写が劇中度々挿入されており、そのシーンどれもが愛おしかった。

一つ目は、天カス学園に出発する際、みさえが「1週間分ね」と言って、しんちゃんを抱きしめるシーン。そのみさえの振る舞いと、実感が伴っておらず母の愛情を暑苦しく思うしんちゃんの関係性を逃さない脚本・演出が憎かった。

また、しんちゃんが野原家を離れてすぐの頃、みさえとひまわりがスーパーで買い物をするシーンでは、みさえが何気なくしんちゃんに惣菜のコロッケは何個にする?と問いかけた後、しんちゃんの不在に気づき、寂しさを覚える瞬間が描かれる。似たような描写が他のドラマでもあった。テレビ東京で2018年に放送された新春ドラマ『娘の結婚』だ。妻が早くに亡くなり、波瑠さん演じる娘・実希と長らく二人で食卓を囲んできた中井貴一さん演じる父・孝彦との様子を描いたドラマ。娘が結婚し、父一人での生活が始まったドラマの終盤、何気なくスーパーで買い物をするシーンで、これまでずっと買ってきた鮭の切り身二人分を手に取ったあと、ふと娘が家を離れたことを噛み締め、一人分の切り身に持ち替える描写を思い出した。

今作では、映画オリジナルの登場人物が結構出て来る。しかも敵か味方かはっきりしない立ち位置のキャラクターが多い印象。はじめは今回登場人物ちょっと多すぎで物語が散らばるのではないかとも思った。だけど、作品のミステリー要素を練り上げる上では必要だったと思うし、映画オリジナルの登場人物と、カスカベ防衛隊のマサオくんやボーちゃんそれぞれが関わりあうことで、双方に物語を構築する上での役割が付与されていたし、劇中での存在感を高めていたと思った。

これは個人的な好みだけど、私はクレヨンしんちゃんの映画の中で、序盤に中心に描かれる登場人物を絞り込み、レギュラーメンバーと映画オリジナルキャラクターの関係性が描く作品が好きになる傾向にある。そういう意味では、前作『映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』は、オリジナルキャラクターにやや重きが置かれすぎていて、あんまり入り込めなかった。前前作の『映画クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン〜失われたひろし〜』は野原家にフォーカスを当て、中でもひろしとみさえのエピソードによりフォーカスしていたのが印象的で、すごく好みの作品だった。これは、2014年の『ガチンコ!逆襲ロボとーちゃん』でも同様のことが言える。

思えば、クレヨンしんちゃんの映画を初めて観たのもシネマエポックだった。たしか2000年の『嵐を呼ぶジャングル』だったと思う。それから2007年の『嵐を呼ぶ 歌うケツだけ爆弾!』くらいまでは毎年シネマエポックでしんちゃんの映画を観た。

2007年といえば私が中1のとき。上映前のまだ照明が明るい劇場に母と入ると、中学の上級生たちが自分たちよりも少し前の席に座っているのに気づいた。クレヨンしんちゃんも好きだし、母のことも好きだけど、母と二人で映画を観に来ていることをなんとしても気づかれたくなかった。席を立ったタイミングで気付かれるかもしれないと思って上映前のトイレも行かず、ロビーの自動販売機で飲み物を買うよう促す母の誘いも細い声で断り、息を潜めるのに一生懸命だったのを覚えている。映画の物語が付与する緊張感とは別の緊張感だけ存分に味わい、映画の内容はほとんど覚えていない。クレヨンしんちゃんを初めてここで観たときからから21年も経ったんだということと、中学生のときのあの当時の心境、当時よりもひとっけがうんと少なくなった地元の映画館に想いをめぐらせながら帰宅する。