タバコのにおい

9/19

 早起きしたとき、今の時刻を時計を見る前に予測する。昨夜を思い返すと、23時半〜24時くらいの間に寝落ちしてしまったように思う。起床時の状況としては、毛布をしっかりかぶっておらず、間接照明を付けっ放しにしてしまっている。これらの要因をもとに、今は3時半くらいじゃないかと見積もる。半目で東京フレンドパークのフール・オン・ザ・ヒルのようにベッドのあちこちに手を伸ばし、左肩のところに置かれていたiPhoneを探し当てる。ディスプレイには3時27分の表示。

 トイレに行って、洗面台で顔を洗い、歯磨きをする。この歯磨きの間に、昨夜帰宅してから食べたものや運動量、今朝のトイレ状況を振り返りながら、今朝の体重にあたりをつける。昨夜のごはんは控えめだったものの、先週帰省したときに飲み手がいないからと母に持たせてもらったキリンの一番搾りを一缶飲んでしまった。64.4kgくらいかと思って、オムロンの体重計に乗る。点灯する64.3kg。

 昨夜は寝る前にAmazonプライムで『ウォッチメン』を観ていた。全9話で構成されているドラマで、昨日は第8話を観た。この勢いで昨夜のうちに全部観終えてしまおうと思っていたのに、1時間あるドラマがどうにも重たく感じ、寝落ちしてしまった。

 昨日、仕事終わりにイオンシネマで『クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』を観た。中盤にがっつり寝てしまった。起きたときには映画クレヨンしんちゃんの大筋の流れである、レギュラーメンバーとオリジナルキャラクターがコミカルなパートを重ねた上で結束し、シリアスな展開を迎えるところまで話が進んでいた。落ち込みながら後半パートを観た。知っているような知らないような映画オリジナルキャラクターが活躍するシーンが続く。中盤パートの欠落が尾を引いて入り込めない。それが間違いなく自分のせいなのでただただ苦々しい。仕事終わりに映画に来るときは自分のコンディションと相談しないといけないと反省する。劇中、自己犠牲がテーマになっている展開があってもやもやする。たしかに他者のために自分の身を削って奮闘する姿は、勇気付けられる瞬間もある。だけど、同時に究極の自己犠牲の上に成り立つ感動演出みたいなものに乗っかれない自分がいることにも気づく。それはサポートでもなんでもなく搾取じゃないかと思う。

 身支度をして、喫茶店のダンケへ出かける。4連休は行ってみたいと思っていた喫茶店でモーニングをとることにした。大好きなフルグラミロ牛乳(もはや呪文だ)もこの4日間はおあずけ。レンタサイクルに乗って表町商店街に向かう。ビルの2階にあるお店に入ると、先に入っておられるお客さんが吸ったタバコのにおい。普段あまり意識していなかったけど、分煙されていないお店に立ち寄ったのはずいぶん久しぶりなのだと気づく。窓際の座席に座る。お店の前にあったメニュー表が座席には置かれていないことに座ってから気づき、お店の方にどのようなメニューがあるかを確認してサンドイッチとアイスコーヒーを頼む。

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 サンドイッチはゆで卵、トマト、ポテトサラダ、レタス、ハムが入っていた。具材豊富。だけどそれぞれの具材が少しずつ入っているため、食べやすい厚みをしていた。一つ目は上品さを装って3口で食べたが、2つ目と3つ目は1口で食べた。おいしかった。

 入店当初は気になっていたタバコのにおいもお店に10分ほどいるうちにそれほど気にならなくなった。ふと父のことを思い出す。父は僕が大学4年生のころにタバコをやめた。実家にいる間にも禁煙するようなことをしばしば言っていたのに禁煙はしていなかったから、これからもずっと吸い続けるんじゃないかと勝手に思っていたので突然の禁煙に驚いたのを覚えている。

 思春期の頃は、父がタバコを吸うのがすごく嫌だった。テレビのある居間で父はよくタバコを吸った。そうすると、同じく居間に積まれたその日取り込まれた衣類にタバコのにおいが染み付いてしまう。自分の衣類やみんなで使うタオルに、タバコのにおいがつくことがすごく嫌だったし、タオルを学校に持っていかねばならない日に選んだタオルからタバコのにおいがすることに強い恥ずかしさを抱いていた。そういうこともあって、高校2、3年生くらいになってから自分の洗濯ものは家族とは分けて自分で洗い、自分の部屋で干していた。ランドリーグッズは100均で買い揃え、壁掛け用のフックを駆使して洗濯干し場を作った。それ以来、タオルは自分用のスポーツタオルを使うか、共用のものを風呂上がりに使う際はできる限りタバコのにおいがしないものを選んでいた。

 嫌だったのはにおいだけじゃない。実家の一階の男性用トイレの網戸には、丸い穴が開いている。これも父のタバコが原因。くわえタバコをしながら用を足した父が開けたものだ。僕が小学生くらいのときからずっと開いている。夜に電気をつけてトイレに入ると、光に釣られて穴から虫が入って来る。それがすごく怖かった。母はその状況をどこまで知っていたかは分からないが、網戸を買い換えるわけではなく、当座しのぎで白い糸を格子状に通していた。穴を開けた張本人は修繕しようともせずくわえタバコを続けていた。偉そうで想像の巡らない父のことがすごく嫌だった。ちなみにその穴は今でもそのままで、今でも白い糸が格子状に張り巡らされている。当座しのぎ続けている。

 これだけ毛嫌いしているのにも関わらず、タバコのにおいを嗅ぐとほっとする瞬間もある。それは喫茶店でバイトをしていた大学生のときに気づいた。バイト先の人とコミュニケーションがうまく取れなかったりしても、喫煙席の掃除を挟むと気持ちが少し和らぐ瞬間がたびたびあった。これはどうしたころだろうと思っていたら、受動喫煙が長らく続いたことから自分にも副流煙によってタバコ脳が一部あるのだと知った。

 お昼に職場の先輩にあたる方と待ち合わせてお昼ごはんに行く。日替わり定食とパフェを食べる。その職場の方は同じ業務を担当している年の近い女性の方で、これまで二人でカラオケに行ったり、PRODUCE 101 JAPANきっかけでアイドルの話やアニメ・ゲームの話、Abemaの配信番組についてざっくばらんに話題ができるようになった方だ。この日も仕事の話を序盤に少しだけして、そのあとは最近の配信番組の話をしていた。

 パフェを食べたところで、職場の方に自分のセクシャリティについて話した。差し迫った状況になる前に自分の態度について示すべきだとなんとなく思った。今後も二人で気兼ねなく遊んだりするために、より自分のことを知ってもらった上で関わりたかったのだと思う。自分の性について、他者と関わる上でそれをどのように扱ったらいいのか難しいなって思うときや生きにくいなと思う瞬間はときどきあるけど、自分の性をおかしいとか誤ってるとかって思い悩んだことは全くない。セクシャリティに限らず、あらゆるマイノリティの要素を持つ人たちが尊重され、相談したりサポートを受けたり(ときにはとやかく構わずほっといてもらったり)できる仕組みや制度、環境が必要だと思うし、自分がそういうことを個人レベルでも発信していきたいし、誰かと協力するようなかたちでもやっていくことで、自分の同年代やさらに若い世代の人たちが思い悩んだりすることがちょっとでも少なくなるようなことをしたいというような話までした。今振り返ると少し大きなことを話しすぎたかもしれない。でも本心だ。今度は焼肉に行こうという話になって解散する。

 夜、シネマクレールで『パブリック 図書館の奇跡』を観る。開場前にずっと行きたかったトイレに行く。行きたいと思っていたピークを少し前に過ぎてしまったせいか、舞台袖まで来ていた役者こと便が控え室に戻ってしまっていた。シネマクレールの座席は自由席で、整理番号が若い人から劇場に入り座席を選べるシステム。僕の今日の整理番号は2番だったので、このままでは飛ばされてしまうと余計に焦ってしまってぐずぐずしてしまった。

 映画はというと、とても好きな作品だった。図書館という施設が持つ社会的な機能と、社会的弱者が声をあげたときに刑事や検察官、マスコミがどのように分かったような態度を取ったり、都合よく解釈するかということも描かれていた。劇中、公立図書館に立てこもったホームレス70人の中に女性が一人もいなくて訝しく思う。ホームレスの方の男女比を調べたところによると、ある調査では日本では約25:1で男性が多いらしく、アメリカでは3:2で男性が多いとのことだった。ラストの脚本ありきで女性ホームレスを加えなかったのだとしたらそれは惜しいことだと思う。

 帰り道、荷物の受取で近所のコンビニに寄る。トレーニング中だった男性の店員さんがいつの間にかトレーニング中ではなくなり、新たに入ったと思われるトレーニング中の店員さんに荷物の受取の際のオペレーションを教えていた。時間の経過を感じた。