周囲から理解されにくい喪失体験は、「公認されない悲嘆(Disenfranchised Grief)」とよばれる。公認されない悲嘆の場合、当事者は孤立し、サポートを得にくいため、精神的苦悩が長期化する危険性がある。他社の喪失の軽重をみずからの物差しで測るのではなく、その喪失が本人にとってどれほど重大であるのかが理解される必要がある。
(坂口幸弘『喪失学〜ロス後をどう生きるか〜』より)
映画『ラビット・ホール』、「悲しみは消える?」という娘の問いかけに対して。
「いいえ。私の場合は消えない。11年経ってもいまだに。でも変わっていく…。なんていうか、その重みに耐えられるようになるの。押しつぶされそうだったのが、這い出せるようになり、ポケットのなかの小石みたいに変わる。ときには忘れもするけど、何かの拍子にポケットに手を入れると、そこにある。苦しいけど、いつもじゃない。
それにつらくはあるけど、息子の代わりに残ったものなのよ。ずっと抱えていくしかないの。決して消えはしない。それでもかまわない。」
(ジョン・キャメロン・ミッチェル『ラビット・ホール』より)
藤野「私は逆にこういう形で滝口さんや柴崎さんのように、まとめていないことを少し残念に思っているところもありまして。あの、やっぱちょっと書いとけばよかったと思うこともあるんですよ。もうまさにこのタイトル(『やがて忘れる過程の途中』)の通り、どんどん忘れていっているので。ただ私は自分が日記という形式が得意ではなくて。得意ではないので、逆に挑戦してみたい分野ではあるんですけども。あの、実はその、向こうでも日記を書こうと思って書いてたんですけど、途中までしか書けなくて。あの、ペンでノートに書いてたからっていうのもあるんですけど、パソコンで書けばよかったなって思ったんですけど。どうしても書くのが遅いからどんどん嫌になっちゃって、書かなくなって。
でもね、なんかね、書いてても私なんか、なになにができなかったとか、分からなかったとかしか書いてないんですよね、日記に。で、なんかそれがその、あまりこう、書き残していく価値があるのかどうかが分からなくなって。書かなくなることがすごく多くて、日記というのは書かないんですけども、どうしても文章を書くときに。柴崎さんはとても巧みに小説というかたちにされて素晴らしいと思うし、滝口さんだって日記というかたちだけれども、すべて真実…真実っていう言葉もおかしいんですけど。なんか、実際にあったことだけれども、やっぱりこの、ここに書かれている滝口さんと、本当の滝口さんが自分が滝口さんだと思ってる滝口さんとは距離があるじゃないですか。この距離が私は日記というかたちになった瞬間にうまく取れないんですよね。だから書けないんです。でもやっぱりそうやって作品としてじゃなくても書いておくべきだったなとちょっとは後悔していて。」
(2020年8月9日配信 『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』刊行記念対談「アイオワで考えたこと、から考えること。滝口悠生×藤野可織」より)
滝口「日記で書いたこともあるけど、さっき言った通り、書かなかったこともあって。で、じゃあ、なんだろうな、日記じゃないと書けないこともあるし、日記だと書けないこともあるし、日記だろうと何だろうと書けない…ちょっと書きにくいみたいなこともあるし。で、もう一個こう、書けなかったけど、結果として書けなかったけど、それはいろんな事情だとか忖度とかではなく、書けなかったけど、でも忘れないことみたいなのもあると思うんですよね。書かないでおいたけど、忘れないことみたいなのもあって。なんかそれがあるのは、なんか救いというか。あの、日記というかたちで書いてしまったけど、でもまだそれで固定してしまったわけじゃないというか、その記憶とかが。なにかその自分の手元にまだ書いてないものとかが、思い出すことが残っているということは、こう、この本を書き終わった後にもそれがあったからよかったなと思ったんですけど。
実際の体験をそのまま、こう、そのまま日記はそのまま書いてるに等しいと思うんですけど。そういうことって僕はなんか最近どんどんやってしまっていて。それがいいのかどうかはちょっと分かってないんですけど。分からないままやってるんですけど。」
(2020年8月9日配信 『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』刊行記念対談「アイオワで考えたこと、から考えること。滝口悠生×藤野可織」より)
カニエ・ウエストの「Bound 2」のMVは同じくらい未知の世界だ。無駄に壮大なコーラスとファンキーなラップの二パートから構成されているこの曲は、発表当時こそ脈絡のなさに驚き、相当フレッシュに感じたものの、現在はそこまで珍しくないように思う(例えばマックルモア&ライアン・ルイス「Downtown」は同じ構成)。問題は映像だ。ディスカバリーチャンネルかと思う程の自然の風景。山、谷、雲、星空、グランドキャニオンのような岩、馬。そんな風景をバックに、バイクで疾走するカニエが合成され、嫁のキム・カーダシアンがだいたい全裸で同乗している。この映像は未だに破格だ。意味が分からない。イケてる/イケてないという判断が出来ない。当時も今も同じ感想を持つ。未だに名前のない感覚。難解なハイファッションと言われればそうかも知れないが僕はこのMV、やっぱり凄いと思う。何年たってもこのMVを形容する妥当な言葉が見つからない。既存のイメージを与えようとするとカニエは逃げていってしまう(バイクで)。
(荒内佑『小鳥たちの計画』より)
爆笑オンエアバトルの敗者コメントで悔しがらないバカリズムさんについて。
バカリズム「なんで面白いと思ってきたのに、敗者コメントなんて言わなきゃいけないの?って。あれすごく残酷だったじゃないですか。で、他の芸人さんがやってるのも見たくなかったし。かわいそうだから。で、結局そのオンエアされたやつも5回ぐらい撮り直してますからね。まともなこと言わないから。敗者コメントを。」
豊本「基本的にはそのカメラマンさんとかが『悔しいです』的なことを待ってるんだけど全然升野くん言わないから。」
バカリズム「だってベストを尽くしたんだもん。だから、あの、また同じネタを持ってきますって言ったら、『すみません、もう一度撮り直し』って、言われてそれを全く同じトーンで5回繰り返した。その5回目が使われたっていうだけ。素材は全部同じ。」
平野レミ「和田さんみたいに人に誠実で、謙虚で、物事を控えめに言う、ああいうふうになりたいと今でも私は思います。いなくなっちゃったけど尊敬しているし、どんどん好きになっていっちゃう。とっても会いたい」
(マガジンハウス『クロワッサン』2020年8月25日 1027号より)
Mちゃん「なんで私らはすぐ『終わり』をもって『永遠』としたくなってしまうんやろうね…」
(つづ井『裸一貫!つづ井さん』(2)より)