慣れない座席

 7/10〜7/12、実家に帰省した。10日の金曜日、仕事終わりにレンタカーを借りる。手続きの最後に店員さんから「〜なので、気をつけてください」と言葉をかけられる。前半の部分が聞き取れなかった。この前半部分を聞き漏らすのはこれで3回目。手続きを終え乗車したあと、あの前半部分は何を言っていたんだろうといつも気になる。

 数ヶ月前、レンタカーを使ったときにたぬきを轢いてしまったことがある。レンタカー返却時、店員さんから尖った口調で怒られた。もしやそのことを蒸し返して「前にたぬきを轢いたので、気をつけてください」と言っているのではないかと思う。いつもの調子で被害妄想だ。蒸し返しているのは他でもない自分。

 実家への移動時間は高速を使って2時間、下道で2時間半。どちらを選んでもそんなに変わりはない。急ぎでないときは下道で帰るようにしている。田舎道なのでほとんど人の気配はない。後続車も対向車もほとんどない。あまりにそういう状況に慣れ過ぎてしまってその道を走り慣れていそうな車が後ろにつくと、途端に緊張してしまう。この日は日付が変わる前くらいに帰宅する。

 

 土曜日、4時半に起床。シンクの洗い物を片付けて、各部屋のごみをごみ袋にまとめる。母が起きてくる。2階の寝室に置いていたノートパソコンを1階に持って降りて母と一緒に先週のTBSラジオ安住紳一郎の日曜天国』を聴く。メールテーマは「最近、嬉しかったこと」。そのときの投稿メールの中に、認知症を患った祖母が孫である投稿者を忘れてしまったため、祖母の記憶が鮮明な祖母のふるさとの人間になりきってお見舞いに行き続けているというものがあった。その部分を母と一緒に聴きたいと思って、自宅からノートパソコンを持ち帰った。(スマホアプリ版radikoはタイムフリーですでに聴いてしまっていて視聴期限を超過していたため)途中、安住さんの声色が震えるところで母と僕で揃ってぽろぽろ泣いた。そのあとコーヒーを淹れ、超熟を2枚焼いて母と食べる。母はパンにはバターよりもマーガリンを塗って食べるのが好きで、全体的に茶色がかったカリカリした食パンが好きらしい。

 午前中、母は書道教室へ、父は畑仕事に行く。午前中手持ち無沙汰だからなにかできることはないかと出かける前の父に声がけすると、家の周りに除草剤を撒いてほしいとのことだったので、家の周りの雑草に除草剤を散布する。

 何回か前の帰省のとき、父は周りの人と協力して何かすることが苦手だという話を母がしていた。自分のペースで物事を進められないことをもどかしく思うらしい。だから今日も畑仕事の手伝いじゃなくって、僕一人でできることを任せたのだと思う。自分と似ていると思う。散布を終え、仏間と客間と居間の掃除機をかける。なすときゅうりが台所にたくさんあったので、昼ごはんに麻婆茄子ときゅうりを生姜と醤油で煮込んだのを作る。

 こういう土日の午後に暇なときは祖母と一緒に退屈して過ごすのがこれまではよくあった。祖母と一緒にぬるめのお茶と甘栗や干し芋を食べて暇だねと一緒に過ごすのが退屈だったけどすごく好きだった。そんな祖母が入院してしまって一緒に食事できなくなったり、話したりできないのが寂しい。

 夕方、祖母のお見舞いに行く。祖母の病室が個室だったのと、病院の方に気を使ってもらい、母と祖母のところへお見舞いに行くことができた。道中はSpotifyPodcastで『kemioの耳そうじクラブ』を聴いた。好きな人から太ももに手を置かれたいというkemioさんの理想のデート話を聴いて、母と二人でにやにやした。

 祖母が入院してから、母はお見舞いに毎日病院へ通っているらしい。面会できるようになったのはここ数日のことらしく、それまではビデオ通話でリモート面会をしていたという。画面越しに祖母と話はできるけど、日によっては祖母が苦しそうなときもあるため、会話がなかなか続かないという話をしていた。

 自分だったら何ができるだろうと考える。病室で一人で過ごすのは想像するに退屈だろうし、心細いと思う。もしかしたら家族は自分のことをもう気にかけてはいないのかもしれないと思うかもしれない。そんなことを想像して、とにかく言葉や態度で祖母への想いや気にかけていることを伝えようと思う。祖母との会話が難しいのあれば、自分から一方的にあれこれ喋ってしまえと思って、写真を現像してアルバムにして持って行った。2年前に岡山で働き始めてから月に1度は帰省して祖母や家族を撮ってきた写真だ。たしかに会話は難しいようだったけど、祖母を写真を見せてそのときどきの話をすると、「ああ」とか「おお」とか反応してくれた。帰り際には、ありがとう、またなという言葉もかけてくれた。

 実はこの日、病院のお見舞いに姉も同行する予定だった。しかし、姉からのLINEの返信は生返事のようだったので、たぶん来ないと思っていたら、病院に到着して祖母の病室を探し回っていたらしい。病院を出て携帯を確認すると、姉から着信が数回来ていた。連絡をとると、不安げな声の姉が電話に出た。申し訳ないことをしてしまったと反省する。

 姉と合流する。祖母を訪ねて大勢で押しかけてもいけないと思い、今度は姉と母で祖母のお見舞いに行ってもらい、僕は1階の売店前のロビーで二人を待つ。しばらくして母と姉がロビーにやってくる。姉と話した際も祖母は元気そうに反応してくれたと母が話していた。

 病院を出る。解散前に母と姉が立ち話をしているとき、病院の周りを歩いておられる方に見覚えのある方がいた。ラジオ体操会を主催されておられる方のようだった。顔が少しおぼろげになっていたので確信はなかったが、恐る恐る声をかけるとやはりその方だった。先日まで入院されておられた病院を少し前に退院されてようで、今はリハビリとして近所を歩かれているとのことだった。声をかけてよかった。

 夜、姉と姪甥が実家に遊びに来る。NiziU「Make You Happy」やTWICE「Fanfare」のミュージックビデオを一緒に観る。長女の姪がトロンボーンは両手では吹かないと「Fanfare」のダンスについて指摘していた。

 

 日曜の午後、母と携帯選びに行く。母が携帯を持つのはこれが初めてのことだ。お店の人がスマホについて話される内容がスマホ・携帯初心者の母の目線に立ったものではないように思ったので、ときどき母に補足説明をしながら、機種を選んだり、初期手続きについて説明したりする。帰宅してから、もう少し説明が必要だと感じた部分について説明してから、岡山に帰る。

  帰り道のことは忘れてしまった。レンタカーを返却して、本屋さんに行って和山やまさん『女の園の星』を買った。この日、星野源さんが配信ライブをしていたので帰り道にイヤホンで聴きながら、赤信号のタイミングなどでポケットから携帯を取り出し映像を観る。この日のライブで「未来」と「老夫婦」が演奏された。祖母のことを考えて悲しくなる。

 帰宅して、夜の11時ごろ携帯をつついていたら母から着信がある。何かと思うと、携帯をさわっていたら誤って通話ボタンを押してしまったとのことだった。それくらい全然いいのに、すごく申し訳なさそうというか気恥ずかしそうだった。

 

 7/13、仕事終わりにスタバでパッションティーを頼んで図書館で借りた本を読む。このタイミングで読み終わったので、帰り道に図書館に寄って返却ポストに本を投函する。雨が降っていたので、自転車には乗らず、傘をさして歩いて家路につく。帰り道は星野源さん『ばかのうた』『エピソード』『Same Thing』を聴いた。あんなにしんどそうだった祖母と本当に来月また会えるのだろうかと不安に思っていたらまた悲しくなった。昨日の配信ライブで聴いた「未来」と「老夫婦」に胸がつまった。「Aint Nobody Know」の改めて歌詞を聴いたら「卑劣が肩を叩けば 笑顔が唾の代わりさ」という部分が好きだと思った。

 

 7/14、5時起床。二度寝して6時起床。歯磨きをしていたら母から電話がある。電話を取るとどうやら母はビデオ通話で電話をかけてきたようだった。自分はそのとき着替えようと上の服を脱いでいたので、首元までしかカメラが映らないように気をつける。昨夜、祖母の具合があまりよくなかったらしく、母は夜通し祖母の付き添いをしていたらしい。祖母の様子を母がビデオで映してくれる。変わらず祖母はしんどそうだった。「おはよう、しんどいのにがんばっただってな」と声掛けする。

 

 7/15、会議用資料の作成で残業する。退勤したあとに母からLINEが届く。キャラウェイシードが届きました、とのことだった。先週末の帰省で聞いた話によると、母は最近栗原はるみさんのシフォンケーキのレシピに影響を受けて、スーパーを回って様々あスパイスを購入しているらしい。ただ、そのスパイスの中でキャラウェイシードだけはどこにも売ってなかったと話していた。それならと思ってネットで注文したキャラウェイシードがこの日家に届いたらしい。

 帰り道、コンビニで飲み物を買って帰っているときに母から電話がある。さっき祖母が亡くなったとの知らせを受ける。そのあとのことはあんまり覚えていなくて、祖母の笑顔が素敵な写真があったので遺影用にと思って母に送って喪服の準備とレンタカーを予約をして寝た。

 

 7/16、普段より早めに出勤する。会議用資料を午前のうちに作って午後から帰省する。帰り道は30分しか時間は変わらない高速をなんとなく使って帰った。葬儀会場近くの交差点の電柱に式場の場所を知らせる看板が自分の苗字で設置されていたのが目に入る。3時半くらいに実家に到着。すでに葬儀会社の職員の方が仏間や家周りの準備を着々と進めておられた。居間には姉兄と両親だけでなく祖母の娘にあたる叔母も集まっていて、アルバムや式次第を見たり、おのおので話をしていた。近隣の方も来られていて、お茶を出したりお菓子を出したりしていた。荷物を部屋に置いて、仏間の祖母に手を合わせて線香をあげる。遺影には昨日送った写真が使われていた。服装は写真の服装ではなく合成されたものだった。合成なのにどこか祖母が着ていそうな服だった。

 通夜が始まる前にガラス窓を姉と拭き掃除をする。時期が時期なので住職さん以外はみんなマスクをしての通夜だった。読経が終わった後に来てる人にお茶やお菓子を振舞ったりしていたらあっという間に終わった。お客さんが一通り帰られたあとに親族で残って晩ごはんを食べる。この日の晩ごはんは父が買ってきたスーパーの割引された寿司だった。自分の座席は親戚の叔父と叔母に挟まれる普段はあんまりない不思議な席。こういう食事のとき、これまでだったら僕の席は大抵祖母の隣だった。これからはそういう席はないんだなあと当たり前のことだけど思った。ご飯を食べた後、姪の長女と次女と点つなぎとやけに難しい間違い探しをする。

 

 7/17、4時半起床。コーヒーを淹れる。今日の葬儀にあわせて、昨夜親戚の叔父叔母が泊まった。叔父叔母の起床は早く、6時台には起床される。その早さに伴い、朝ごはんも早い。母と叔父叔母の朝ごはんが済んだのは父の起床よりも早かった。母は父を起こそうと二階に上がって声をかける。その流れでいつものように祖母の部屋に立ち寄り、祖母に声をかけようとしたらしい。そこで祖母がいないことに改めて気づいたようで祖母の部屋から台所に戻って来て母がさめざめと泣いていた。あんなに感情が大きく変わった母を見たことがなかったので驚いた。

 お寺の住職さんは葬儀の中で、教義的な側面で祖母のこれからについてあれこれと説く。そのことが今生きている人たちの救いになっているのであれば、宗教的な機能として果たす役割は大きいと思う。だけど、自分はそれほど信心深くないので、そこに何か思いを馳せれるか言われたら、あんまりそういう気持ちにはなれない。もちろん祖母が亡くなったことは悲しい。だけどそこはもう変えられないことだから、どちらかと言えば今いる自分の身の回りの人たちとこれからどのように関わっていくかということばかりを考えていた。祖母のお棺の中に花などを入れるとき、少し前に書き始めていた実家宛ての暑中見舞いを忍ばせた。もともと祖母と両親の名前を書き並べていたけど、両親にはまた送ろうと思った宛て名から両親の名前は消した。

 斎場はある程度人数が集まっても大丈夫だったが、火葬場は人数制限がより厳しく15人までしか参列できなかった。骨上げまでの間、お昼ごはんを食べる。僕の席は母が向かいで隣が姉だった。これもあまりない座席だと思った。2年前の祖父の葬儀のときは祖母が隣で一緒にお昼ごはんを食べた。それぞれの席には飛沫を防ぐためにパーテーションが設けられていた。にも関わらず、姉と母がパーテーションの外側から覗き込んで話をしていた。骨上げのときは人数が少なかったのですぐに順番が回ってきた。あまりにすぐ順番が回ってくるものだから、親族の人たちも途中で気が進まなくなってしまったようで、自分が骨上げを頻繁にしていた。お寺に戻って読経をし、家の墓に祖母の遺骨を埋めた。帰宅してから親族の人たちと話した。実家に帰る前に近所の洋菓子屋で買って仏間に備えていたお菓子をみんなと食べる。

 親族たちが帰り落ち着いたあと、母にお願いして写真を撮ってもらう。

https://www.instagram.com/p/CCvjcp3pqyv/

 7/18、5時半起床。コーヒーを淹れて、朝ごはんを食べたあと二度寝する。お昼ご飯に炒飯を作る。午後からは昨日自宅で親族を撮った写真を現像して母や姉に渡す。晩ごはんに夏野菜の揚げ浸しとチリコンカンを作る。この日はTBSで『音楽の日』をやっていた。祖母の部屋で姉と姪甥と一緒に観る。姪甥はテレビ番組よりも祖母の電動リクライニングのベッドに夢中になって遊んでいた。途中、姪が持っているデジカメで撮影していたテレビ画面越しのNizi Projectの「虹の向こうへ」をみんなで歌った。僕と姉と姪甥たち合計6人で歌ったのでオーオー言うところやonly color only wayなど細かい掛け合いの部分もみんなでカバーし合いながら歌った。楽しかった。晩ごはんの食材を調達するときにスーパーで買ったアイスをみんなで食べた。アイスはパルムとDoleのフルーツの棒アイスを買っていて、どっちがいいか尋ねたら姉と姪甥全員パルムを選んだ。みんな単価をよく知っている。

 

 7/19、午前中、姉と姪甥が遊びにくる。一緒に近所の温泉に行き、帰りに製菓会社に行って、今後初七日などの法要の際に実家で出せる用の茶菓子を買って帰る。このご時世で製菓会社も自社で販売しているお菓子を売る機会が悉く減っているらしく、出荷先で売れ残ったものが店舗に返却されるらしい。その賞味期限が迫ったお菓子を半額で販売していた。お菓子を購入し、店先で販売していた梨ソフトクリームを買って外のベンチで食べる。ふと、姉が頻繁に実家に来ると姉の夫が拗ねるとこぼした。そういうときの対策も心得ているようで、今朝出かける前に美味しい昼ごはんを準備したら見事機嫌がよかったようで作戦が成功したと得意そうだった。帰宅し、お昼ごはんを食べたあとに一人で家の墓参りをして岡山に帰る。

 

 7/20、6時起床。葬儀の最中や土日は前向きだった気持ちがするすると解けて、後ろ向きな気持ちになる。実家で過ごしていたときの心持ちとしては、祖母と一緒にしたかったことや話を聴きたかったことはまだまだあったけど、働き始めてからこれまで祖母や両親のことを気にかけて過ごしてきたし、祖母と一緒に過ごせるときは過ごすようにしていたから、できなかったことがあってたとえ惜しかったとしてもそれはしょうがないよなあと、割り切れていたつもりだった。それが一人になった途端に後ろに引っ張られてしまう。この日から数日は映画やドラマを観たりラジオを聴いてもなんとなくしんどくなってしまったので、懐かしい曲を聴いたりして過ごした。

 両親が共働きで寂しい想いを抱えていた幼少期に、姉や祖父母が代わりとなって自分のことを気にかけて面倒を見てくれたことはこれからも忘れたくない。祖母のそういう優しい心配りから受け取った気持ちが今の自分の気持ちのどこかに結びついているし、周囲の人たちとの向き合い方につながっていると思う。祖父のときとはまた違った別れに伴う寂しさみたいなものをどう扱っていいのかわからず最近過ごしている。