【雑記】背中を見つめるアルバム

 12/13、仕事終わり母に電話する。月曜日に母からお願いをされて、その回答を水曜にすると言っていたのに今週は仕事が忙しくて電話できていなかった。母は今度年明けに中学校の同窓会があるらしく、その幹事になっているらしい。その同窓会でできるいい感じの出し物があったら教えて、と言われていたのでその返事をする。今週の日曜日に幹事の人たちで集まって打ち合わせがあるようで、またどんな打ち合わせになったかおしえてくれるらしい。そのときの話の中で同窓会とかでいろんな昔の写真を見て懐かしい気持ちになるという話がきっかけとなって、祖母の写真とか動画とかいっぱい残しておこうという話になった。最近は祖母だけでなく、母との写真や動画も意識してたくさん残すようにしている。だけどそれは言わなかった。

 

 12/14、7時半起床。昨日家に帰ったのが遅かったのにまあまあ早起きできた。昨晩は、母と電話したあと松屋でシュクメルリ鍋定食を食べた。ジョージアの郷土料理らしい。(ジョージアといえば、角界で言うと、栃ノ心関と臥牙丸関が思い浮かぶ。)そのシュクメルリにふんだんに使われていたにんにくの風味が口の中に微妙に残っている。

 寝床でしばらく携帯をつついて、寝床からぬるりと抜け出し、トイレ、体重計、歯磨き。今朝の体重は64.3kg。今週は平日ぐずぐずしてしまったので、洗面台横にある洗い物入れに衣類が積み上がっている。radikoのタイムフリーでfm gunmamabanuaの50号より愛をこめて』を流しながら、衣類を分類してネットに入れる。洗剤を洗濯機に入れる際、エマールの残りが少なくなっていることに気づく。アマゾンで買おうとしたら、注文合計額が2000円以上で購入できるあわせ買い対象商品だったため、購入を見送る。洗濯用洗剤はタイミングを合わせて洗剤やら柔軟剤やらをまとめてアマゾンで注文するようにしている。今回はエマールだけ減りが早かった。衣類を洗濯にかけている間に、ハンガーにかけて干しっぱなしになっている衣類を畳んでしまう。シャワーを浴びる。mabanuaさんが先日ゲスト出演したTOKYO FM杉咲花のFlower TOKYO』の話をされていた。そういえばその回の書き起こしをしていたのを思い出す。

 杉咲花mabanuaさんはどんな時に音楽聴かれることが多いですか。」

 mabanua「そうですね、やっぱり落ち込んだときですかね。やっぱりあの、さっきのbulowもちょっとこう悲しげな雰囲気あるじゃないですか。だから自分けっこう落ち込んだ時に明るい曲っていうよりかは、落ち込んだときにああいう切ない曲を聴くのがすごい好きで。で、普段自分が音楽を作ってる立場の人間なんで、そんなにたぶん普通の人ほど音楽を聴いてないと思うんですよ、むしろ。一番僕辛いのが、仕事しながら音楽聴けないじゃないですか。よくデザイナーの人とか、なんかその、今こうやってラジオ聴いてる人も何か作業しながら音楽聴いてると思うんですけど、僕って仕事始めちゃうと(音楽を)聴けないし、仕事終わって音楽じゃあ聴こうかな、ってならないじゃないですか。ちょっと休みたいなっていうのもあるし。だから限られたときにしか、音楽を聴いてなくて。で、一番多いのってやっぱり疲れたり、落ち込んだり、なんかその自分のもやもやが解消できないときに初めて他人の音楽に力を借りるっていうことが多いですね。」

 杉咲「なるほど、私も落ち込んだときに聴く。なんか明るい曲よりも、そういう気分に寄り添ってくれるような曲を聴くことの方がが多いです。」

 mabanua「いいですよね。そう、寄り添ってくれるのが一番よくて。そう、だから歌詞とかでなんか頑張ろうぜとか元気出せとか言われても、今そんな気分じゃないんだよな〜みたいな。そう、だからなんかこう背中をさすってくれるような曲がやっぱり一番好きかなっていう感じですね。」

(2019年12月8日放送 TOKYO FM杉咲花のFlower TOKYO』より)

 

 昨日の夜は特に予定がなかったので、松屋で晩ごはんを済ませたあと、駅前のサイゼリヤに行ってツタヤでレンタルした漫画を読んだ。このサイゼリヤは深夜2時まで営業している。忘年会シーズンということもあって、サイゼリヤが入った建物の周辺には、ほろ酔いになっている人たちが飲み会の締めをしたり、どこか目的地に向かう人たちで賑わっている。サイゼリヤの店内も飲み会の延長で来店されたような方がけっこういたように思う。

 入江喜和『ゆりあ先生の赤い糸』を読む。前に2巻くらいまで読んだが、時間が経って内容が曖昧になっていたので、また1巻から読み直して4巻まで読んだ。1巻の序盤で描かれる父の言葉が主人公であるゆりあ先生にとって指針やモットーである一方で、心持ちの如何によっては、ときにそれが手に刺さったとげみたいな呪いとしても機能してしまい折々で苦しむ様子に共感した。(ちなみに手に刺さったとげのことを地元では「すばり」と呼ぶ。当初すばりと書こうとしたら方言だったことを知る。)現状がどうにも立ち行かなくなりそうなときに、ゆりあ先生が両手で目下を揉むシーンが度々挿入される。セリフなどで説明することなく疲労感をこういう所作で表現する入江先生に敬意を抱く。

 『ゆりあ先生の赤い糸』に登場する箭内さんのミソジニー傾向のある振る舞いに疲労する。箭内さんだけに限らないが、女性のことを動物的な性別や醜悪の形容、性器の名称で軽んじて呼ぶ行為に出くわすとたとえフィクションや冗談であってもけっこうきつい。ミソジニーミサンドリーに限らず、日常で出くわす自分に向けたものでない誰かの発言や書き込みにも勝手に傷ついてしまう。そういう発言をする人にもそう思うに至るこちらが慮れない個別の事情があったりするから、真っ正面からそれに対して何か言える立場には全くないし、その感情は外に攻撃性を持って発露しない限りにおいては尊重されるべきだとは思う。だけど、私は他人に対してそれでも一定の敬意を払って生活したいので、そういうものに出くわすと苦しくなってしまうし、できれば出くわしたくない。自分はそういうことはしない、したくないというスタンスをとるくらいでしかメッセージを発信することができない。

 途中からLorde『Melodrama』を聴く。落ち込んだときによく聴く。元気になれたり前向きになれたりできるアルバムではない。気持ちが塞ぎがちになって途方も無い暗雲が垂れ込めた心持ちになったときに聴く。Lordeの背中を見つめるようなアルバムだと思う。自分の不明瞭な感情は鈍く悲しいままだけれど、それに肯定も否定もないラベルや名前をつけてもらえたようなそんな不思議な気持ちになる。このアルバムを聴くとき、そのときどきで印象に残る曲が変わる。今日は「Supercut」が特に印象に残った。

 1時くらいまでサイゼリヤで読書をした後、郵便局で荷物を受け取って、スーパーで買い物をして帰宅する。買い物の最中、直近で買った記憶がなくて自宅にストックがあるかわからなくなる調味料の上位にレモン汁があるのではないかとどうでもいいことを考える。スーパーで買ったりんごを剥いて食べる。冬になって、りんごが1玉100円前後で購入できるようになって嬉しい。土曜の話をしようとしていたのに金曜日夜の思い出話になっている。

 

 浴室から出て、身なりを整えたあと、伸びた指の爪を切る。以前、左足の人差し指の爪先がマラソンに向けたランニングで折れて、内出血をおこしていたのだけど、今日そこを確認したら血のかたまりが爪先まできていたので、凝固した血を指でほじくる。

 昨日の朝ぐずぐずの生活の中でも洗って乾かしておいた食器を所定の場所に戻して、超熟8枚切りでピーナッツサンドを作る。ピーナッツバターを冷蔵庫に入れていたら、かちかちに固まってしまったので湯煎して溶かす。コーヒーを淹れる。新しく買ったコーヒーの粉を使ったが、あんまり美味しくなかった。図書館で借りていた清水ミチコ『三人寄れば無礼講』を読む。

 清水「モノマネについては子どもの頃からやっていたけど、似せたいというより、「テレビに映るあの人になりたい」って思ってたなあ。」

清水ミチコ『三人寄れば無礼講』より)

 清水ミチコさんが話したり、書いたりする思い出話が大好きだ。

清水「お正月に、光浦さんを含む女子四人で台湾に行って、古民家をリノベーションした家を借りたんですけど、トランプ会で夢中になりすぎて、お風呂のお湯が溢れちゃって。」(清水ミチコ『三人寄れば無礼講』より)

 対談記事や鼎談記事の、話者プロフィールってたとえ芸名に漢字やアルファベットが用いられる方でもひらがなで統一されていることがあって、そのときにその人を知ってるはずなのに知らなかったって思わされる瞬間がある。この経験の原体験になったのはJUJU。じゅじゅと表記されて紹介されるJUJUさんはなんか普段と違って見えた。10月くらいに商店街にあるジュンク堂で立ち読みしたときに、ライフマガジンにLiLiCoさんのインタビューが載っていて、プロフィール欄の「りりこ」というひらがな表記にも新鮮な気持ちになった。この本では「つばきおにやっこ」という表記が新鮮だった。本来の表記が持つイメージやアイデンティティをいい意味で失ってる感じがして好きだ。