【雑記】小指で耳をほじる

 10/16、腕時計を忘れたことに家を出てしばらくしてから気づく。2ヶ月に1回くらいの頻度で腕時計を忘れることがある。朝出る前に忘れないよう意識的にチェックするベルト、弁当、ハンカチの3点セットに今日から腕時計も加えることにする。

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 この日の間食。

 そういえば、9月末に新しくイヤフォンを買った。Ankerのワイヤレスイヤフォン、Soundcore Liberty Neo。それまではAirPodsを使っていた。ヨドバシの注文履歴を調べたら、2017年の10月に購入したらしい。2年くらい使っていたことになる。僕はイヤフォンとか使用頻度の高いものの使い方が下手だと思う。定期的に綿棒でAirPodsの縁を掃除しないと結構汚れてしまう。最近は充電をしっかりしても23時間も持たないことがしばしばあった。radikoオールナイトニッポンを聴きながら走りに出かけると、エンディング前に左耳の電源が落ちてしまったりして、ちょっともどかしいのがここ最近はずっと続いていた。来月のマラソンに向けて、2時間以上走ることもあるので、そのためにバッテリー持ちのいいイヤフォンを探していた。飲み会のお店を探すのと同じで情報が溢れるところで、自分が求めるものを探すのが難しいし、苦手。Ankerのスピーカーを家で使っているのでそこをきっかけに買ってみた。一ヶ月くらい使ってみてAirpodsとの違いについて思ったことを書き出してみる。

 音質はそれほどいい育ちの耳じゃないのでほとんど気にならない。充電の持ちは商品のセールスポイントの通りよくてストレスが少ない。それとAirPodsと違って、耳からイヤフォンを外したときに再生が続く。はじめはAirPodsの方が細やかな気配りがあって便利だと思っていたけど、そんなに気にならない。そういえば有線のときはこれがデフォルトだったことにしばらくして気づく。生活の水準をあげすぎたために生じた弊害。イヤフォンしているときに無性に耳をほじりたくなるときがある。そのときに片耳を外しても、もう片耳で音楽が流れ続けているというのが意外とありがたい。AirPodsではこれができなかった。耳ほじりしながら聴く音楽も楽しい。携帯とパソコンでのBluetooth切り替えは、AirPodsの方がスムーズだった。どちらかの接続を切る手続きをきっちり踏まないと切り替えができないのはすこし面倒。たまに左右の耳でわずかな音ずれが起こることがある。再生ボタンを押したり、充電ケースに入れれば元どおりになるのでこれもそんなに気にならない。Ankerのイヤフォンは外使い、AirPods寝床で使うことにする。

 

 10/1718:30退勤。今週は仕事が楽しかった。そんなことあまりないので不思議だった。原因はなにがあるだろうと考える。月曜祝日だったこと。金曜休暇を取っていたので週3日の勤務だったこと。今週給料日だったこと。週末の職場のイベントで担当内の人と少し仲良くできたこと。夜更かしすぎず、毎日0時~1時くらいに寝て6時くらいに起きる生活リズムを心がけたこと。毎日弁当を持って行った達成感。業務で困ったことをぎりぎりまで自分で抱えずに、早めに上司や業務上関係のある人に相談できたこと。これから自分が担当する業務について、どうやったら周囲にわかりやすく案内ができるか考えられたこと。依頼内容の情報の中に、相手がつまづいてしまうような情報の欠落や飛躍がないかなどを考えながら業務ができたこと。ふと考えてみるとこんなことがあった。また仕事がしんどくなってきたら今週意識したことを思い出してまた仕事に向き合いたい。

 仕事終わりに、イオンシネマで石川慶『蜜蜂と遠雷』を観る。是枝裕和『真実』と同様に、背中で演技させる冒頭のシーン。松岡茉優さんの演技の巧さに引き込まれた。森崎ウィンさんの演技は、本作とスティーヴン・スピルバーグ『レディ・プレイヤー1』でしか観たことがないけど、好きだ。抑えの効いた声に聞き惚れ、きれいで丸みがある鼻に見惚れる。あまり他人の鼻を意識したことがなかったので新鮮だった。分かりやすさに寄らない演出が映画全体にあって好きだなと思った。

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 帰り道に見かけた革靴。

 家に帰って、実家に持ち帰る用に筑前煮とカレーを作ってタッパーに詰める。母はいつも実家で母をしている。少しは休んでほしいと思っていて、最近帰省するときにこういうのを続けている。歯磨きをして、ニッポン放送『井口理のオールナイトニッポン0』を聴きながら寝落ち。

 

 10/18、今日は仕事がお休み。朝、風呂場で顔剃りをする。耳たぶの平べったいところに生えた産毛も剃る。シャワーを浴びて、洗面台で着替える。そういえば最近履いていないコットンのトランクスを思い立って数枚捨てる。

 ここのところ少しずつ朝晩が冷えてきた。IKEAの青い袋の中にしまっていた掛け布団をクローゼットから取り出して洗濯機で洗う。洗ったあと、近所のコインランドリーにで乾燥させる。

 乾燥が終わるのを待つ間、近所の運動公園の中にはジムに行く。運動公園内にジムがあるのは夏くらいに知った。平日の日中のみ一般開放されているようで、なかなか行きたいと思っても行けなかった。開館とほぼ同じくらい時間にジムへ。受付の人に「この時間は誰も来ないと思いますよ」と言われ、ちょっと喜んでいたが、10分したら二人くらいお客さんがいらっしゃった。

 いろんな器具を試してみる。どの器具にも職員の人たちが実演したと思われる操作方法がラミネート加工されたものがマグネットのフックにひっかけられていて、それを確認しながら見よう見まねでやってみる。昨日寝落ちして途中までしか聴けていなかったニッポン放送『井口理のオールナイトニッポン0』を聴く。放送時間で言うと4時くらいの時間帯に、秦 基博さんの「恋の奴隷」をaikoさんがかけていた。EPカップリング曲かつ秦さんの楽曲の中でもかなりカルマの強めな曲という選曲にaikoさんも戦っているとトレーニングに身が入った。

 1時間くらい身体を動かしてジムを後にする。コインランドリーで乾燥させた掛け布団を回収して帰宅する。家でシャワーを浴びる。予約していた大腸肛門科に行く。ちょっと前に処方してもらっていた軟便剤の薬が切れたため。5月に行ったのが最後ということだったので5ヶ月ぶりの訪問。ここ最近は快便が続いているが、またいつ調子が悪くなるかわからない。待合室では『ヒルナンデス!』が放送されている。久本雅美さんが茨城県ひたちなか市の漁港でロケをしていた。一人は寂しい芸、イケメンに目がない芸など休む暇もなくもろもろ得意分野を詰め込んでされておられた。もうそんなに媚びないで、無理しなくていいのに、と悲しくなった。軟便剤と座薬を1ヶ月分もらう。処方箋に似た効用のものはドラッグストアでも買えるが、1ヶ月分を2000円もせずもらえるのでありがたい。今日はそんなにおしりの調子悪くないですと言ったら診察されずに薬を処方してもらえたのも新しい気づきだった。

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 図書館で予約していた本が準備できたとメールがあったので図書館に寄る。この日借りた本。

 岡山では今日からG20保健大臣の会合があるらしい。駅前の交差点には警察官の方があちこち配置されている。イオンモールには警察専用の駐車場がある。そこにも大きなワゴン車が停まっていた。三列シートのどの列にも警察の方が座っておられるのがスモークガラス越しに見える。三列目に座っておられる警察官の方がフジパンのチョコチップメロンパンを頬張っておられるのもスモークガラス越しに目に入った。交代でワゴン車内にてお昼休憩をされているのかもしれない。

 ユニクロでブロックテックショルダーバッグを買う。

 家に帰って、帰省のための荷物の準備をする。荷物をまとめ、小雨が降る中、岡山駅に向かう。荷物が多いときに不機嫌になりがちなのだけど、天気が悪いとその機嫌の悪に拍車がかかってしまうことに気づく。誰かと一緒じゃなくてよかった。

 岡山駅から電車で倉敷駅まで移動し、倉敷駅近くのタイムズで帰省用に車を借りる。レンタカーに乗って、倉敷市民会館の近くの駐車場に車を停める。この日は山下達郎さんのライブに行った。とってもいいライブだった。開演18時半、3時間超えで映像などの小休止とかもなく山下さんは出ずっぱりだった。

 演奏や歌唱はもちろん、トークも抜群によかった。1970年代後半に制作したアルバムはペシミスティックなものが多いという話をされていた。大瀧詠一さんの楽曲のカバーもライブ中あった。蒼氓のイントロが胸にがつんと来る。ライブの構成が映画的だなと感じた。最近観た作品で言えば、『シュガー・ラッシュ:オンライン』や『デッドプール2』を思い出すような構成。本編を終盤でかっちり盛り上げて、本編を一度締めたあとにこそできる規格外の展開。

 自分が今こうして健康でライブを続けて来られている一方で、中には健康面でツアーが続けられなくなっている人もいる。鬼籍に入られた人たちのことも触れ、自分がこれからも亡くなられた人たちの分まで、その人の楽曲を歌ったり、ツアーを続けて行く使命感や責任感についても話されていた。

 自分のことについても思わず考えてしまう。約2年前に祖父が亡くなって、自分なりにこう、これまでの自分のこととか、これまで自分が周囲とどうやって関わってきたかを改めて見直す機会になった。山下さんのように、亡くなった人のやりたかったこととか、もし生きながられていたらこうしていたであろうことを背負うということは自分ができない。だけどその人のことを意識の近くに置くことはできると思った。自分ができないこともたくさんあるけど、何かにつけて言い訳してしてない部分もたくさんある。そういうできるのにやっていない部分についてはもう少し意識的に取り組んでいきたいなと思った。

 普段日常生活で仲良くしてくれる人やSNSで親しくしてくれる人からの優しさや思いやりに対して、今もしかしたら余裕がなくて見過ごしてる部分があるかなって思った。それと、気持ちの持ちようによって、その気遣いや優しさの解釈をネガティブに捉えてしまうことも少なからずあって。だから、それを見過ごしたり、見て見ぬ振りしたりしないようにしていきたいって思った。同じように、周囲の人たちが落ち込んでいたり、苦しいと感じているとき、それに寄り添いたいって思った。そこに対して直接介入できるほどノウハウがあるわけではないし、適切なアドバイスもできないかもしれないけど。そこをほったらかしにはしたくなくて、もっと寄り添っていきたいなと思った。そういうぼんやりしていた自分の考えがはっきりとした輪郭を持って現れたように感じた。

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 ツアーポスターを前に写真を撮ってもらう。その日に買ったユニクロのブロックテックショルダーバッグを早速身につけている。はしゃいでいる。

 22時半くらいに岡山から実家へ向かう。下道で帰ると3時間くらいかかる。今日は倉敷から出発したのと、座りっぱなしの時間が長かったのもあって、途中コンビニで休憩したりしながらゆっくり帰る。道中、たまたまパトカーの後ろを走る。30分くらい。ほぼ一本道の帰り道なので一定の車間距離を開けてついていくかたちに。一時停止線でしっかり止まり、曲がる前にもしっかり止まっていた。模範的な存在であろうと自覚的な運転にちょっといらいらしてしまった。2時半に実家に着く。流しに溜まっていた洗い物を洗う。相変わらずベッドフレームとマットレスが不釣り合いの元自室で横になる。