【雑記】爪を噛まなくなった話

 小さい頃からのやめられない癖がある。それは指の爪を噛んでしまうことだ。他人には恥ずかしくて相談できず長らく悩んでいた。

 爪を噛んでしまうという話を私はこれまで家族以外にはほとんどしたことがないように思う。整えたとはおべっかでも言えない深爪に気づいている人もいたかもしれない。しかしそれを真っ向から伝える知り合いもいなかった。みな優しかった。私も私で知り合いに会う約束が決まったりすると、以降その人に会うまではなるべく爪を噛まないように意識したりしていた。

 爪を噛んでしまうことについて、落語家の春風亭一之輔さんは自身のエッセイで飄々と書かれていて、ああ、こういう風にあけすけに話せるほど私はまだ自分のやめられない癖と向き合えていないな、他人に何か負の感情を持たれたくない気持ちの方が強いなと思っていた。(エッセイはたぶん『いちのすけのまくら』だったように記憶している。他にも自身のラジオ番組『SUNDAY FLICKERS』でもたまに爪を噛むとか鼻をほじるという話をしている)

 私の母もこの癖のことを知っていて、両親が共働きで姉弟の末っ子である私に十分な愛情を注いであげられなかったことを紐づけて、 幼いころのあの寂しさがあったから、だから今もこの癖が抜けないんだと断定し、私が爪や甘皮を噛んでいるところを目撃しては口にしていた。私もなるべく爪を噛んでいるところを両親、特に母には見せまいとしてきていたが、それは自慰行為を目撃されそうになり、変に自然体を装うような風だったので、余計に母にはその瞬間が強く印象づいているのだと思う。忙しいながらも、私は両親から愛情を十分にもらっていたと思っているので、癖の原因を勝手な憶測で話されるのが嫌で、その反動で余計に自分の癖から抜け出せなくなった。

 思春期の迎えたあたりから写真に自分の爪が映るのが特に嫌になった。現在ではSNS等に写真をアップするときに極力爪が映らないように、写真を見た人に私の癖を見透かされないように、細心の注意を払っていた。購入したものなどを撮るときも手が映らないように、どうしても手が入ってしまうときは爪が映らないように指の腹がカメラに向くようにしていた。

 爪を噛むのは無意識だ。それはときになんとなく寝付けない夜の寝床で。それはときに休みの日に家でなんとなくぼうっとしているときに。一日中家でだらだらと過ごした罪悪感が生まれ出し、あぁ外に出て気分転換しなきゃな、何を着て行こうかな、今日の天気どうかな、暑くないかな、色々考えてたらなんか外出るのちょっと面倒だな、とあれこれもやもやしている休みの午後が一番危ない。ふと気づくと爪を噛んでいない指の方が少なくなったりしていて落ち込む。爪を噛みすぎてしまった後は、それまで空気にあまり触れていなかった爪の下の皮膚に風があたって、爪先がじんじんする。瞬間的に爪を噛んでしまったことで、爪先の鈍い痛みを延々と感じ後悔させられる。自分にまた負けてしまったという気持ちになる。

 

 それがどういう因果か自分でも全く見当もつかないが、5月に好きだった人と別れて、爪をさっぱり噛まなくなった。ここ1ヶ月半を振り返ると、たしかに一度も爪を噛んでいない。爪を噛まない人はよくご存知かもしれないが、爪を噛まないと爪先が爪を噛んでいるときよりもずいぶん固くなる。そんな多くの人からすれば些細であろうことが、私にとってはそれはそれは新鮮で、ふとしたときに他の指の爪や指の腹で爪先の固さを何度も何度も確かめている。

 ただ、爪を噛まなくなったものの、爪を噛むのを克服できたとは思っていない。たぶん、今後も何かのきっかけで爪を噛んでしまうことがあるかもしれない。爪を噛んでしまったらそれはまあしょうがないことだとも思っているが、それでも爪をなるべく噛まないように今意識していることがある。それは家にボックスタイプのガムを切らさないことと、爪を噛むなと自分のもやもやした気持ちを押さえつけるのではなく、自分の爪は自分のもので大事にできるのも自分だけだと思って、それなら自分の爪を好きになろう、という風に自身の心持ちを管理するよう努めている。自分の中だけではあるが自分のための啓発活動もやっている。それはLOVE MY NAILS活動だ。DON'T BITE MY NAILSと押さえ込むのではなくLOVE MY NAILSというスローガンを掲げ、肯定的に癖を考えるようにしている。マーガレットハウエルみたいに、LMN.という頭文字が胸ポケットにプリントされた誰にも見えない白のTシャツを着ているんだと想像して自分を鼓舞したりもしている。

 5月に実家に帰省したときに、母に自分の手を見せた。最近、爪を噛まんようになったっちゃと伝えると、おお、すごいがん、と言ってくれた。一番心配させたくなかった人に褒めてもらったことがこの上なく嬉しかった。