【雑記】氷川きよしと磯野貴理子

 違法アップロードされたライブ映像や番組動画がYouTubeにアップされ、興味関心が先行し、吟味する余裕すらないまま、さらにそれがTwitterで拡散されていく大きな流れを見ると作り手が不憫でしんどくなる。自分が時間や労力をかけ、創意工夫を凝らして作り上げたものを第三者にいともたやすく掻っ攫われてしまう虚しさ。そういったことを想像して、もの悲しさとやり切れなさを感じる週末だった。

 魅力や真実が多くの人に伝わることが歓迎されるべきことであるのは十分に分かる。しかし、その関心のためにないがしろにされているものがないかを私はどうしても強く意識してしまう。なんとかしてこの作り手にきちんと利益があるような、関心だけでゆくゆくは消費され先細りしていくような展開にならないような応援ができないかといつも考えている。

 先日は『かんさい情報ネットten.』番組内での特集とそれに関するコメントが話題になっていた。内容は個人の尊厳を深く傷つけるものであった。ただ、正義のためには、批判をするためには、そういった権利は軽んじてもいいものなのか、まだ自分の中で割り切れない部分がある。文化庁が掲げる著作物引用の7つの要件の中の1つには「報道、批評、研究などのための『正当な範囲内』であること」といった記載がある。これが今回の『かんさい情報ネットten.』や先日磯野貴理子さんが自身の離婚について言及した『はやく起きた朝は...』でのケースになるのかもしれない。ただこれをきっかけにこの放送を動画サイトなどで検索し視聴するのは適切な方法ではないと思う。

 私は普段SNSでテレビ番組のキャプチャを投稿することがよくある。これも正直なところ著作権を侵害する行為だと思う。結局すっきりしない心持ちは翻って考えると身から出た錆だ。応援しながら、同時に作り手の想いを軽んじないアプローチがまだ判然としない。評論家ぶりたくもない。それでも常に心がけていることは、その番組への敬意を忘れず、なるべくその番組の魅力が伝わる導入になるよう努めることだ。すなわちテレビ番組をはじめ、ラジオ、映画、音楽、漫画などにおいて、公式側が提供してくれているコンテンツやサービスへの道筋を示すことだ。そういったことを意識しながら、時折公式の迅速な対応に救われながら、大きな流れに疲弊しながらもよりよい方策を模索していくほかない。

 


氷川きよし / 限界突破×サバイバー ~「氷川きよしスペシャル・コンサート2018 きよしこの夜Vol.18」より【公式】